ちゃんと考える人と話をしようと思う
なんでこんなタイトル付けたかな。
人と話していると、その人が考えている人か、そうでない人か分かってきます。
考えているか・考えていないかってどうしてもわかるものですね。
考えている人間は新しい事態に対峙しても何らかの答えを出します。
考えていない人はこれは私の関係することじゃないとか、他の人に聞いてとか言って、優れた対応ができません。
人はその人に考えによって成り立っている。
きちんと考える人と交流していきたいのです。
動かせない予定を作る
自分の思い通りに動かないことが多いのですが、
最近動かすことのできない予定・時間の決まっている予定を入れることで都合よく動けるのではないかと感じています。
映画のスケジュールを設定するのです。
こいつは時間が決まっているから自分の行動が決定される。
好き勝手な都合で後回しにすることがありません。
この方法は使えるんじゃないか?
その場の快楽を優先する
まるで私そのものを表すタイトルですね。
将来未来のために我慢することが有益だと分かっていても、「今」自分がやりたい感情が芽生えれば、その欲望を肯定する。
したいと思っているからやるのは仕方ないよね、という思いだ。
全然ダメじゃないか私。
話を共有したいけどバカにされるのがや
誰かに自分の話をして、馬鹿にされるのがいやだという気持ちはありませんか。
だから誰にも自分の話をしない。そんなことはないですか。
何か話をしなきゃいけないとなって、適当な話をして、自分の欠点をさらすことになって、そこをつつかれて、自爆する。
そもそも会話が成り立たなければ傷つくこともない。
接触がなければ、会話も起こらない。
よって、接触を避ける。
これはこれで正しいのです。
自分に対処できないことを避けるのは一つの知恵です。
でもいつか対処せざるを得ない時が来る。
その時どうすればいいか?
普通に他者を会話できている人々は何故それができるのだろうか?
何が違うのだろうか?
おそらくは、中身が詰まっているかそうでないかの違いなのでしょう。
中身があるから会話ができる。
人前に出しても大丈夫な自分でいられる。
そしておそらく人と会話を盛り上がらせるために何をすべきか常日頃考えているのです。
意識にせよ無意識にせよ。
考えているか考えていないかの違いが表に出て来る。
会話を楽しくさせるために日々自分が考えているか。
検証してみてください。
「相手の気持ちを理解する」ではなく「自分の気持ちを伝える」
相手の気持ちを理解しよう って言説多いですよね。
学校で散々教わったなぁ。
”相手の気持ちを考えて” とか。
”作者の気持ちを考えなさい” とか。
"登場人物の気持ちを考えなさい" とか。
誰かの意見ばかり気にして、自分の考えを発信することってなかった気がしますね。
ちゃんとした技術で伝えないと、相手を変えることができない。
相手の考えそうなことを考えてしまう。(と、思っている)
他者と関わる以上、相手のことを考えざるを得ません。
私が話しかけたら、こう反応するかな、とか。
家族との関係で心を痛めてるのかな、とか。
睡眠不足で疲れてるのかな、とか。
当たっていることもあります。
考えることは大事です。
気を付けなきゃいけないのは、これは全て妄想であるということ。
ただ自分が思っているだけで、現実は違うこともあるのです。
全てのことは大したことない。
世の中に大事なんてない。
取り返しのつくことだって多い。
大事なのは頭が悪くならないことですよ。
仕事するってことは、乱雑なものをコントロール下におくということ
今回はタイトルがほぼ言いたいことです。
乱雑だったり、乱雑な情報を整理して、まとめて、他者に使えたり・求められりした時に、楽にひきだす状態にしておくことが求められます。
管理している・把握している状態を目指すのです。