湧き上がる感情にどう対処するか?
昨日は眠れない問題への対処を書きました。
今日は、感情によって自分の行動が阻害される問題の解決に向かおうと思います。
行動を邪魔するもの
日々やっていく予定が積み重なりながら、向かうべき目標が明確でありながら、その場その場で出てくる感情の為に、行動が阻害されることが多々あります。
ほぼ毎日、と言った方がいいでしょうか。
ブログを書き始めた2013年からずっと続いています。
今年だけでその罠に陥った日は28日。
めちゃくちゃ人生を無駄にしています。
どんな感情なのか?
家に帰ってきて、片付けをした後、会計作業をして、ブログを書く予定の日がありました。
けどやろうとしない。
気づこうともしない。
お菓子が食べたくなる。
YouTubeを見ようとする。
音楽を聴こうとする。
やるべき事を無視して。
こんな時、私は自分の感情に邪魔されている。
ほんの数分経てば消えてしまう感情に。
後の時間で、何故時間を無駄にしてしまったんだろうと、思い返してしまう。
無理に抑えるのではなく
この感情に捉われると、どれだけ時間があっても仕事ができません。
膨大な時間があってもです。
能力がなくても時間をかける事で達成できる仕事が達成できません。
恐ろしい。
この感情の流れに押されると、何もできない・何もしない状態が永遠に続きます。
いつか死ぬから永遠ではないですけど。
この感情にどう対抗するか。
1つは、目標へのより強い感情、コミットメントをもって自身の感情に対抗する方法。
もう1つは、自分の感情を小さいものをして見ること。
ここまでは過去の記事で書きました。
さらにもう一つ。
感情が湧き上がって来た時の対処方法を決めておくこと。
これが有るか無いかが重要だと気づきました。
もし感情に迫れられて仕事の実行ができなくなったら〇〇をする。
何らかの代替行動を行い、目標方向へ軌道修正する。
その儀式を考えておく必要がある。
それは何か?
- 手帳を見ることか?
- ブログを見返すことか?
- 掃除をすることか?
- 部屋の整理をすることか?
- 目標を書いた紙を見返すことか?
- 感情は一時的なものだと思って、忘れるようにするのか?
- 瞑想に入るか?
- 深呼吸するか?
- 寝転がって感情が去るのを待つか?
- 今自分はどうしてこの感情に浸されているんだろうと考えるか?
- 1日、2日先の行動予定を頭に描くか?
- 他者の事を考えて、その人の考えにフォーカスするか?
- 仕事をやり遂げている自分を想像するか?
- より簡単な仕事に着手するか?
- 自分の興味関心を曲げる為に、全く違うメディアのスイッチをオンにするか?
- 今やるべき、または、次にやるべき仕事内容を確認し、その必要性も強く確認する作業をするか?
- 時計を見て、このままだと予定の達成が出来そうにない事を自覚させるか?
- 仕事を完成させた自分を想像するか?
どれをするにせよ、短時間で暴走状態から脱する必要があります。
時間を作って、仕事したいのですから。
感情は必ず襲って来ます。
今までも、これからも。
感情が湧き起こり、仕事の進捗に停滞が発生した時、慌てふためくのではなく、「あ、来たな」くらいに感じて、冷静に対処し、生産性を維持します。
たまに来る眠らない問題にどう対処するか?
このブログで数度書いてきた眠れない問題。
生活再建に努力する中で、眠れなくなる事象は減っていきました。
もう解決か、と思いきや。
1週間に1度ほど、眠れなくなる時がやってきます。
ここまで努力して、まだ眠れなくなりますか。
週に1度くらいなら、もうどうしようもないですか。
眠れなくて悩むよりも、「あ、来たな」くらいの態度でいることにします。
規則正しい生活を諦めた訳ではありませんが。
さて、実際眠れなくなったらどうするか。
眠るまでに何をするか。
ここで考えておく必要があります。
”その時”になって考えるのでは生産性が低いんですよ。
- 翌朝やるべき事をやる。
- ブログを書く。
- 片付けをして部屋のスペースを空ける。
- 手帳に書き留めてあるタスクを消していく。
- 仕事をする。(これは正解かどうか)
4.のタスクが正解ですね。
眠れなくなったら、溜まっている用事をやる。
これを決めている事で、眠れない時が来ても、慌てないし、トラブルだとも思わない。
眠れない問題ではなく、眠らない問題なのです。
周りの環境にあるもの全てが教育
正しい方向に向かうために、強制の力が必要だと書きました。
世の中には何かしら、自分自身に強制を強いて来るものがあります。
会話がそうです。
こちらが聞きたくもないことを聞かされ、話したくもないことを話さなければいけなくなります。
その過程で新しい自分を発見したり、有益な情報を得ることがあったりします。
なんでも自分で選んでいたのでは、接することの出来ないものに出会えたりする。
特に子供にとって周りの大人は世の中の情報を与えてくれる全てであったりします。
ここの人たちの頭が悪いとかわいそうなことになる。
もし周りに仕事の出来ない人がいて、足を引っ張られることがあれば、他者に自分の邪魔をされないようにするために何をするか考えますが、周りに優秀な人ばかりであれば、次にどんな新しいことをやろうとするか考え出すでしょう。
人は環境に適応していく。
良い刺激が与えられれば、それは教育として機能する。
こちらの実になることを何一つ教えてくれない環境だと、何も成長しない。
......まとまらない文章になった。
いつになったら構成を考えながら書けるのだろう?
自分の感情を小さく扱う
やるべきことをやるときに、自分の感情が湧き上がってきて、実行をせき止めることがあります。
そんな時どうするか。
1つは、より強い感情で自分を動かすことです。
自分の目標に対するコミットメントを思い出し、その方向に自分を向かわせること。
2つ目に、そもそもの自分の感情を小さく扱えばいいのではないか、と思うのです。
- サボりたい
- 楽したい
- ぼーっとしたい
などの自分の感情をほとんど無いようなものとして扱えたら。
相手にしなかったら。
自分にとってどうでもいい人が言っている言葉と思ったら。
やるべきことに移行できるのではないのでしょうか。
完全に実行してないからわからないんですけど。
そのことで大元の自分が嫌だーってごねるかもしれないけど。
やってみる価値は十分にあります。
勿論良い感情は増幅させていいです。
そもそも、目標に向かうって、そういうことじゃないんですかね。
自分の感情より、自分の目標。
強制が自分のやりたいことを達成させる
自分のやりたいことをやるには強制の力が必要だ。
考えて選択してやることじゃない。
やりたいことだからやりたくなるなんてことはない。
過去の経験で十分知った。
強制で、自分にやらせなければいけない。
放っておいて、やる気になるのを待っていたら、時間を無駄にするだけ。
今の私のように。
- 風呂場に入れば終わるまで体を洗って湯船に浸かるし。
- ストレッチを始めれば終わるまで続ける。
- ブログを書き始めれば一つ終わるまで書き続ける。
- 本は......途中で抜け出すことも多いけど。
- 掃除機をかければ一通り終わるまでやる。
これは少なからず強制の力が働いています。
自分自身に何かを課すことで、目標が達成される。
しかもそれは案外嫌なことじゃない。
自分の気持ちを置き去りにして、何かをさせられるというのは、意外と嫌じゃなかった。
行動に入ると、元あった感情は消えている。
お前なんで嫌がってたの?と思うくらいに。
嫌なことでないなら、そっちをやればいいんですね。
本当にやりたくないなら体が拒否反応を起こすはずです。
強制を課せば、やりたいことができる。
外部の力を使ってもいいし、自分で自分にやらせてもいい。
......なんて書きながらまた暴走したりもしています。
予定があってその予定に乗っかるのが嫌で好きなことしたら5時間くらい経ってたことが最近ありました。
で、やっぱり強制の力が必要だよ、と思いはしたものの、あの時やりたかったかと考え直すとそうじゃないよなと気づいて、だったらやるべきことが楽しいことだといいのでは、と考えた。
楽しくする必要はあるけど、それだけをやるんじゃない。
自分の気持ちを小さく扱う必要があるのです。
その内容は次回に。
過去を見るのも未来を見るのも同じだ
上の記事で、予定を立てるのではなく、過去の時点で「本来あるべきだった自分」を書き出してみたんです。
その時に気づいたこと。
過去を見るのも未来を見るのも同じだ、ということに。
今じゃないものを見ている。
過去をよく知れば未来も見通せる気がする。
知識があるか無いかの差だけで、今じゃないものを見ることはどちら方向でも等価なのではないか。
過去にも行けないし、未来もすぐには来ない。
その時間に思いを馳せている「今」の私ってなんだろう、と思うのです。
本当にコントロール出来るのは今だけってことか。
少しのタイムロスが、大きな不可能となる
日々用事をこなしていると気付きます。
少し作業を中断して、他の作業をする、休憩する、息抜きをする。
再び作業再開。
その作業が僅かな時間で終わる。
その時思うわけです。
こんなに速く終わるなら、あの時間にやってしまえばよかったと。
あの無駄時間に作業を入れてもよかったのではないかと。
やりたいことが進んでいないと嘆きながら、そのための時間を無駄にしているではないか。
たとえ作業のスピードが速くても、その前後の準備片付けに多くの時間が取られれば、速くやる作業の生産性は消失します。
ある特定の部分だけを見て、そこさえ良ければいいと思ってしまって、他の生産性を見落とすと、思っていたのとは違う結果になってしまいます。
24時間生産的である必要がある。
今サボっている時間はもっと他の何かに使うためにあるんじゃないだろうか。
詳細をすぐに考えられるようになったら成長
達成しなければいけない目標を、まずは忘れないことが大事です。
で、その目標に到るまでの道を、ぼーっと見るのではなく、詳細を理解する、あるいは、書き出すことが出来ることが必要だと気づきました。
ぼーっとあるだけでは何をすればいいか見えてこない。
詳細が見えてくると、次にやるべき行動がわかる。
「順番」が決まっていれば、行動する前に考える時間が節約できます。
やらなければならないことがわかって、その詳細を描きだすことができたら、一つ成長です。
ブログを書くことを小さく捉える
ブログを書くことを大きく捉えなくていいと思います。
壮大な内容にしようと思って書き出したら3行で終わることってあります。
書こう書こうと悩んでいるよりも、軽いものを書いてしまっていた方が、気が楽でいられる。
小さく捉えよう。
綿密なスケジュールを立ててやる
失敗した。
休日の過ごし方に失敗した。
時間を無駄にした。
何も考えていないから失敗したんだと思います。
やるべき内容、やっているイメージが自分の中に出来ていないから。
で、昨日「本来やるべきだった、在るべきだった自分」を書き出してみたんです。
空っぽだ。
かなり空っぽだ。
全然イメージがない。
時間余ってる。
なんだこれ。
やりたいことや、書きたいブログはたくさんあったはずなのに。
それが頭に浮かんでこない。
私は昨月こんな記事を書きました。
”その時”に考え、選択していると時間を食われて色々なことが出来なくなると。
それはルーティン以外の行動でも同じことなのではないか。
では綿密なスケジュールを立てようではないですか。
やりたいことを全部やりきり、お金持ちへ向かうスケジュールを。
今までは襲いかかる感情に予定が妨害され続けていましたが、対抗策がいくつか見え始めています。
何もしないで失敗するよりは、何かして失敗した方がいい。