楽しいが大事/自分のやっていることは全て「楽しい事」にしなければならないか?
最近ツーリングに行ったのですが、これが楽しくない。
かつては楽しくて仕方なかったツーリングにあまり楽しさを感じていません。
厚着して風を感じにくくなったというのもあるのでしょうが、
「楽しめる時期」を過ぎてしまったのかなとも思っています。
人間関係の薄い私ですが、
”楽しかったこと”はいくつもありました。
片付けが楽しかったり、本を読むのが楽しかったり、ブログを書くのが楽しかったり、ひたすら会計作業をするのが楽しかったり。
その楽しいことを今同じようにやって楽しいかと聞かれたら、決してそうではない。
過去と同じように楽しいわけではない。
その時その時の状況によって変わる。
で、それが「やらなければならない」事だったら。
楽しいのか苦しいのかぐちゃぐちゃな感じになります。
まさに今。
やりたいと思った時にやるのが大事。
楽しめるのはその時しかないかもしれないから。
日々の生活を楽しいことだらけにしようと画策しております。
だがその自分の立てた予定もうまくいかないことが多い。
誰かに邪魔されてとかそんなんじゃなくて、ただ自分の我儘のために。
毎日本を読めれば楽しいはず、とか
映画を見ることが出来れば楽しい、とか
考えていたんですけどねぇ。
勿論出来ないわけじゃない。
時間はあるのですから。
「楽しい事」さえも自分に課した時に「仕事」になるのか?
ちゃんと布団を畳むとか、髭を剃るとか。
嫌なことをやらないのはまあ出来てるからいいです。
自分自身が楽しいと思ったことをやるのが大事なのです。
即ち、自分がやっていることは楽しいことでなければならない......。
自分がやっていることを楽しまなければならない...。
それはそれで窮屈だ。
「楽しむ」が大事?
答えは全然出ませんが、ブログ、読書は楽しみたいのです。
頭の中からつまらないものしか出てこないので最近のブログ内容は面白くないです。
これは面白いものでありたい。
楽しくブログを書いている時の、キーボード相手に手が忙しく動くあの行為は何度も経験したい。
(「過去の経験」にこだわってどうするんだろうと今思った)
おそらくブログはなんとかなります。
自分自身を充実させれば面白くなっていくでしょう。
ブログを書くことが楽しくて楽しくてしょうがない状態にもう一度もっていきたいと思います。
他の生活も。
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