数ヶ月間会話をしていなかったから分かる会話の重要性
元々人間関係も他者との会話も少なかった私ですが、賃金労働を終えてより会話する機会は少なくなりました。
余計なコミュニケーションも、話しかけられたくないのに話しかけられる事態も無くなり、それなりに幸せな日々を送っていました。
が、ここ数週間、閉塞感のようなものも感じてきているのです。
やはりある種の飽きというか......
いや、飽きじゃないな。
自分の望みが分からなくなってきています。
今の生活を持続・拡大していくのがいいことなのか?
なにか違うコミュニティや仕事集団のようなものに属したほうがいいのか?
ここまで一人でやってきました。
誰にも聞かず、誰にも言わず。
ただ一人で居たのです。
それは私の望みでした。
他者から話しかけられて自分のペースが乱れるのを嫌い、自分の時間が拘束されるのを嫌う。
自分の興味を持っていることにだけ向かって他の事は考えたくない。
ひたすら映像作品や本を読み続けていたい。
その望みは、目標は達成してしまっているのです。
そんなに自分の好きなことばかりやっていられないものですね。
というより、飽きが来た以上、「好きな事」ではなかったのかもしれません。
最近、楽しいと感じることが減っているのです。
昔は会計作業を楽しいと思っていたのにその気持ちは消え、
feedlyでブログ記事を読む興味も減り、
音楽を聴くことさえ面倒がる。
映画を見ることも。
こんな記事を書いたのに。
いったいどうしたら刺激のある生活を送れるのか。
思い浮かぶのは、人との会話、コミュニケーションです。
その中に楽しいものがあるんじゃないだろうか?
自分では見ることの出来ないものを他者と通して見ることが出来るのではないだろうか?
昔_それこそ小学校の頃から感じていたことです。
誰かに何かを聞いたりすることのない人間だった私は他人がどんな考えを持っているかなんて知りません。
他人に対して全く興味のない子供だったのです。
他人が何をやっているかなんて全然気にせず、何でも自己流にやってしまうのです。
勉強でも、進路選びでも。
で、結果として間違えたり、遠回りをしたりする。
そして周りから言われるわけです。「お前は何をやっていたんだ」と。
一人で自分勝手にやるから他の人がやらない間違いを犯し、それを指摘されたくないから益々他人との関わりを避ける。
「お前そんなことも知らないのか」って言われるのが怖いんですね。
そういや同じような記事書いていました。
おそらく今まで生きてきた中のコミュニケーション量って現役中学生クラスじゃないかな?私。
その状態から殆ど進歩していない。
いや、今少し変わったかも。
会話を通して何かを得たい。
新しい情報や刺激を得たい。
自分以外の人間が見る世界を見てみたい。
他者が見えているものを私も知りたい。
なんだかそう感じるようになってきました。
友達がいる人は他人に興味を持っている。そういったことは知ってはいます。
自分自身にしか関心を持っていなかったこれまでと変わった感じがします。
自分がどう話すかではなく、相手に喋らせる。コミュニケーションの記事で良く見る言葉です。
それがしっくりくる。
だって、私の話なんか面白くないですよ!
それよりは相手に話してもらったほうが内容量もあるだろうし、私は相手からの情報が欲しいのですから。
相手に喋らせて、相手がどんな風に世界を見ているかを知る。
それが目指す目的だと分かれば、コミュニケーションにも前向きになれます。
こんな考えをもてるようになったのは、コミュニケーションを怠って損した経験を最近したからです。
ただ損するだけでなく、知っていなきゃヤバいことを知っていなかった大変な体験をしたのです。
それが何かは今回の記事では書きません。(いつか書くかもしれませんが)
詰まる所、損得勘定に基づいているのです。
それは、それでいい。
損得勘定を超えた感情云々〜どうのこうのというのはまだ私に生まれてきそうにありません。
それはもう少し未来に来るでしょう。
自分自身にこんな考え、思いが出てくるなんて予想していなかったですね。
1年前や半年前に書いたこととは全然違ってきています。
ブログの趣旨もいろいろ変わっています。
お金のことばかり考えていた私も、長時間労働を嫌だ嫌だと思っていた私も、消えています。
自分自身の変化を自分で観測できるというのは、面白いものです。