生存疾走更新

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過去を振り返ってみて思うこと ー お前勉強以外のこともしろよ!

 

ここ数日、自分がどんな人生を送っていたか振り返っていました。

過去の記録があったのである程度詳細に思い出すことができます。

見て思うのは

 

  

お前勉強以外のこともしろよ!

 

 

です。

 

そこそこ遊んでもいましたし、ゲームもしていますし、おもちゃで遊んでいるし、メディアにもどっぷり浸かってはいました。本も読んでいます。(今ほどではないですが)

しかしそれは、「学生の範囲」のことです。

学生が楽しむようなコンテンツを楽しみ、学生が行くようなところに行き、学生の行動範囲で遊ぶ。

それ以外の時は勉強のことを考える。

そうです。真面目に勉強のことを考えていたのです。

 

どうやってレポートをこなすか。

どう学習計画を立てるか。

学校に押さえられるスケジュールの中でどう基礎知識を付けるか。

真面目な態度だったはずです。

 

しかしそれで成績が良かったかというとそうではない......

勉強のことだけ考えていれば勉強できるかというと、、、

そうではないです。

「勉強のやり方」みたいなものが型として身につけているかいないかで知識体系が頭と体に入ってくる度合いが違います。

 

私にその型はありませんでした。

正確には弱かったというべきかもしれません。

例えるなら微分を使わずに物理学の問題を解くようなものでしょうか。

 

勉強が出来るようになるためにいろいろな事の言葉の定義を覚えなければなりません。

その理屈はわからなくはないのです。

微分の定義やベクトルの概念、行列式...

其々言葉の定義を理解して使っていけば理解できないわけではありません。時間があれば。

そう、時間があればなんです。

覚えること、理解することなんて多過ぎて一つを理解している途中に次の分野に授業は進んでいきます。

そんでこちらがどんどん遅れていき、時期が経つにつれてやることは膨大に溜まっていきます。

どこから手をつけていいのかわかんない。

 

これ、今となって気づくのは思考の型みたいなものがあれば相当努力を節約できることです。

単純にテストで点を取れるようになるなら解法やパターンをどんどん繰り返し練習して回答の型を身につけていけばいい。

学習内容にしても、「なぜそうなっているか」よりも「これはこうなんだ」とスッと内容を受け入れてツールを使っていけば、相当労力を節約できたはずです。

適切な勉強姿勢を持っていれば、勉強はスムーズになる。

 

ですがこの姿勢やマインドは勉強の”内部”に向かっているのでは、とても得られないのではないでしょうか。

特に私は。

人は誰しも、その人特有の思考の型、パターン、マインドを持っています。

それが勉強に向いている人。スポーツに向いている人。コミュニケーションに向いている人。様々あります。

 物事には原理原則があります。

柔道の選手がバットの素振りをしても上達せず、野球選手がドリブルをしても上手くはならず、テニス選手が受け身の練習をしても直接の向上はない。

上達、成長するためにはその上達のためのステップを踏まなきゃいけません。

そこを踏み外して別ルートに行くと、成績・成果が出せないのは容易に分かることです。

元々もっていた型が、違うものに変わって結果を出していける。

勉強に関しても同じこと。

ではその型みたいなものはどうやって身につくのか?

 

具体的な答えはわかりません。

ですが、大事なことは勉強の中ではなく、外側にあるのだと思います。

学校や学校の外の場で様々な経験を積み、意識が認識が変わること。

勉強だけやっていると勉強をどうするかのことしか考えませんが、外で何か経験することで、物の見方が変わって新たな思考の型を身につける話は幾たびか聞きます。

...私はありませんでしけれど。

 

友達との交流が少なかったことも大きな痛手でしょう。

そもそも会話することが少なかったですね。

y-synchro.hatenablog.com

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y-synchro.hatenablog.com

y-synchro.hatenablog.com

 

この6つの記事は2014、2015年のものですが、これは学生の頃から引き摺っています。

話しかけられてもどう答えたらいいか分からず、つまらない会話をする事を申し訳なく思い、自分の情報を開示する事に怖さを感じる。

それで他者との会話を避けていきます。

孤高というより虚無の存在みたいなものでしょうか。

 

hnktusrot.hatenablog.jp

 

それで何の成長が見込めるのか。

ただ自分の事を守りたい欲望が、私から成長のチャンスを奪っていきます。

(あれ、なんか自分で書いて傷ついた。)

(より小さい時はそうでなかった気が...)

 

今となってはどうして自分が楽しく会話できなかったかは簡単に答えられます。

私に情報が詰まってなかったから、内容が詰まってなかったからです。

詰まってないからつまらない。

私自身もつまらなかったなあ。

 

変化は起こらなかった。

だから成長はない。

おそらく10年以上。

 

その変化を起こすのは勉強ではない。読書ではない。

勉強の外にある環境、他者との繋がり、自分の認識を変えるもの。

変化がない限り結果を出せる自分は出てこない。

 勉強の事ばかり考えていたけれど、それでは勉強は出来ない。

勉強で教わる以外の事が世界には沢山あって、勉強はあくまでも一部でしかない、と考える事が出来ていたら。

むしろそんなこと考えないで、様々なことを楽しむことばかり考えていた方が、より良い成績と豊かな知見が出来ていたのではないかと思い至るのです。

 

 

 

先日家族と口論になりました。

相手側の行動にこちらが注意をしたのですが、全く聞く耳をもってくれません。

こちらの質問に応えようとしない。

通常の会話は無理か、と思った時ふと閃きました。

 もしかしたら、「内容」の話はしなくてもいいのではないか。

 「会話をしている」という事実を積み重ねている事が大事なのではないだろうか

接点がなければ「内容」の話など出来るはずもない。

その接点を保持しておくのが1段目なのではないのか。

そこで積み重ねているものがあるから、より先の話に進めるのではないかと。

この経験、考えが今後に活かされるかも、そうでないかもしれません。