今年1年はなんだったのかーと、予定の話
少し早いかもしれませんが、今年1年は何だったのかとの思いが、頭の中を駆け巡っています。
適当に過ごしたような気がします。
いや、気がするじゃないですね。
自由に過ごした結果、適当になったのです。
本当に自由だった。良くも悪くも。
あまり予定を立てる事はなかったです。
予定やスケジュールに縛られる事はありません。
朝起きて夜寝るまで自由裁量。
その分張り合いがなかったとも言えます。
1月は様々な事を整理しながら過ごし。
2月はまた整理と確定申告。
3月は確定申告。
ゆっくりスペースか。
4月は旅行。
5月は動画鑑賞。
6月は映像の感想をまとめながら本を読み、新しい服を買ってひどい目に遭います。
7月は体の調子を直す事に注力。
8月は体を直しながら、、、何してたっけ?
本当に、何をやっているのだろう?
今年1年もそうだし、今日1日も。
9月以降はちょっと直近なのでまだ書きません。
予定に縛られるのは好きではありません。
その時の自分の方向性や性向みたいなものが殺されるような気がするからです。
この記事書いた時一体どんな気分だったんだろうか。
今ではこの考えは少し違うと感じています。
予定がある事、予定を立てる事は大事です。
他者との約束。自分との約束。
これの実行が結果的に充実した1日を私にくれます。
ただ、その予定そのものが悪いものだと話は違ってきます。
しかし、それすらもやってみないとわからないのだから、続けていくしかないのだと思い巡らせてる次第です。
人の人生はいろいろです。
子供の頃見えなかったものが大人になると色々見えてきてしまいます。
一面ではあっても、世間の情報、人の情報、生きていくためのハウツー、見えてくると、子供の頃はなんて愚かだったのだろうと思わざるを得ません。
まあ、今も全然愚かなのだろうとは思いますが。
生きていく方法はたくさんあります。
組織に属していく生き方。個人でやっていく生き方。コミュニケーションで生きていく生き方。
私は、私が生きていくには、腕や技術が必要と感じています。
人を動かすだけの文章を書く腕。
これを発達させていかないとどうにもなりません。
他に出来る事もやりたい事もないでしょうから。
(意見や意思が変化する事は受け入れていきます)
勝手に言いたいのは、
サラリーマンであれ、個人であれ、ニートであれ、
生きているだけで、凄い。
生きているだけで、もうそれは凄いことだと思います。
死んでしまう生命の時間の中で、生きている時間がある。
身内に不幸があると、そんなことを考えます。
どのような生き方であっても、生きているだけで凄い。