目的意識を持って生きるとは
目的意識を持って動いている時は時間を無駄にしない。
。。。気がします。
— 自由謳歌中 (@Y_synchro) 2015, 12月 5
何の為に作業をしているのか。
この時間は何の為にあるのか。
それをわかっているかいないかで、過ごした時間の充実度に雲泥の差が出ます。
今日はこれだけの作業をやろうと思ってやるのと、
暇つぶし程度の感覚で作業をするのでは、終えた時のスッキリ感が違います。
そう、違う。
漫画を読むでも、ネットサーフィンするでも、目的をわかってやるのと、ただ面白い刺激を受けたいが為に振舞うのでは、内容が違ってきます。
しかし、目的を持ってよく生きるべきだとわかっていても、雑念や煩悩に流されてしまうのが人間。
そして後から後悔する。後からね。文字通り。
目的・目標・予定を持ち、それに従い縛られる辛さを理解している。
雑念や煩悩に流されて無益な時間を過ごしてしまう苦しみも知っている。
目的や予定に縛られる辛さばかり感じていました。
”その瞬間”生まれた自らの欲望を押し殺して目標に向かうのは、私にとって大変な苦痛なのです。
賃金労働をやっているときはその痛苦との戦いでした。
それから解放されて約1年。
私は欲求を満たし続けました。
もう、いいだろう。
何もかも、「気分」や「その場の思いつき」や「我欲」みたいなもので動くことは終わりにしていいでしょう。
というより、そうすべきです。
縛られて生きることが辛かった。だから自由になった。そこで得た快楽に飽きた。
なら次は日々使命を持って生きたほうが楽しい。
これまで苦しいと思って避けてきたことに向き合える状態になった。
不思議な感覚です。
(本当に感覚だけかもしれない)
嫌だ嫌だと逃げていたことが、逃げて欲望を達成してしまうと、さほど嫌で無くなってしまうようです。
とはいえ、「目的」の選定はしなくちゃいけません。
キャパを超える目的を作ってしまうと、やる気を失って昔戻りです。
受験勉強の悲惨さを思いだす...
とにかく、目的を持って生きることにワクワクしております。
欲望を満たすのって大事です。
仮面ライダー響鬼の最終回。「目的を持ってよく生きてくことにならないんじゃないか」のセリフを思いだしてしまいました。