2012年以降のアニメの話〜特に、ファンタジスタドールについて〜(3)
「テレビで知った」よりも「ネットで知った」ほうが多くなる時代について語る内容です。
あらすじ
鵜野うずめはごく平凡な中学2年生。だがある日、彼女の運命は大きく変わってしまう。
特殊な能力を持つ女の子・ファンタジスタドールを実体化できる不思議なカードを手に入れてしまったのだ。
うずめはカードマスターとなり、5人の個性的なドールたちと契約。
“どうしよう、私には無理”とあわてるけれども、うずめはもはや逃れられない。
さまざまな武器やコスチューム、特殊イベントのカードを組み合わせて戦っていかねばならない。
しかもドールたちは次々と、可愛い要求をつきつけてくる。
うずめは世界を守れるのか!? いや自分自身を守れるのか!?
何だろうこれ。
興味を持って見た第1話。うずめが主役なら『カードマスターうずめ』でもいいのだけれど、タイトルが『ファンタジスタドール』なら必然的にマスターとドールの関係性が重要になるだろうと予測。
それにしても通俗性があります。話は王道。「うずめのカードが狙われる」→相手と戦う。長期連載漫画や長期シリーズアニメにあるようなパターンを感じました。キャラクター達はカラフルで目を惹きつけられます。ドールはマスターを守り、願いを叶えるために働く、と言いながらドール達は自由に動き回ります。うずめをマスターと認めないとまで言いだします。ここのズレが作品の根幹になっているのでしょう。
ファンタジスタドールがなんなのか との疑問がある中話は進んでいきます。ドール同士の戦いなのにマスターがダイレクトアタックしたり変な装飾がついたりとツッコミどころだらけの戦闘が続きます。まぁ好きですけど。
その中でも最も大きな衝撃があった第7話について書きたいので書きます。
のっけから不穏です。
おかしすぎるラフレシア。不明すぎる協力カード。協力カードを使うための特訓で得られたことが
「ささらを弾として打ち出す」
??不穏はさらに増します。
始まる戦闘。ドール達が次々と倒れる中、うずめはオーバルカード戦車を使って下半身が戦車に変身!ドールの攻撃を防ぎます 。
!???もうなんだこれ。何がどうなってんの?
そこからささらを打ち出す協力カノン。うずめはドラムロール。
もう面白さしかない。
特訓が終わった時点で、(この後ささらが大変な目にあわされるのだな)と予測できるわけです。構えるわけですよ。構えるのです。その構えているところにとんでもないものが入ってくるのだから衝撃は2倍3倍なんです!ただ戦車化するだけならそれはそれで衝撃なんですけど、構えているところに斜め上過ぎるものが来てしまうと心が支配されてしまいますよ。あ、言っときますが褒めまくってますからね。
11話でファンタジスタドールの核心設定に触れます。開発されたドール達は複雑系を獲得して成長する可能性がある。ドールの成長のためにはマスターとの交流が必要という、マスターにドールが与えられた理由が分かります。
小町とのバトルに続きますが、おそらくこの作品は希望相互扶助員会とのバトルが中心ではありません。谷口プロデューサーも必ずしもバトルが中心でないとインタビューで答えています。
「マスターとドールの交流」「ファンタジスタドールそのもの」がこの作品の核なんじゃないでしょうか。自己の存在に悩むドールとか、ドールを人間扱いしていいのかとか、シリアスなことやりながら滅茶苦茶な展開をしていけば面白いものになるんじゃないかと思ったのですが、とても1クールでは収まりませんね。
ファンタジスタドールの重厚さを作り出すのがこの小説です。
まずこの表紙からしてもの凄いものを感じます。
不気味です。不気味だから読みたくなる。あのファンタジスタドールにこの表紙?
期待をどこまでも裏切りません。すぐに買って読んでしまいました。面白い。設定が(全容ではない)明らかにされるのも興味深いながら、登場人物のドラマとしても面白い。そもそもSFが好きなので滅茶苦茶好きになってしまいましたよ。
アニメスタッフがどこまで考えていたかはわかりませんが、この設定はファンタジスタドールを支える根幹になっているのでしょう。
同時にファンタジスタドールを作った人間の意図など関係なく暴れまわるマスターとドールには痛快さを感じます。
次の2冊もドールの活躍が見られるので楽しめます。特にプレリュードかがみはかがみのドールの活躍が見られるので楽しいです。
ファンタジスタドール ?プレリュードかがみ?<ファンタジスタドール ?プレリュードかがみ?> (コミックアライブ)
- 作者: 鍵空とみやき
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / メディアファクトリー
- 発売日: 2014/03/09
- メディア: Kindle版
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こちらの小説も読みました。
ファンタジスタドール<ファンタジスタドール> (富士見ドラゴンブック)
- 作者: 水島朱音,アンバーフィルムワークス・十文字
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 富士見書房
- 発売日: 2014/03/20
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で、ハイクオリティな絵が楽しめ、小町の動機がちゃんと描かれているこの漫画版はかなり評価すべきなのではないでしょうか。
ファンタジスタドール(1)<ファンタジスタドール> (角川コミックス・エース)
- 作者: めきめき
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2013/11/28
- メディア: Kindle版
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ファンタジスタドール(2)<ファンタジスタドール> (角川コミックス・エース)
- 作者: めきめき
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2014/08/26
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絵が凄い。ギャグもちゃんとやる。省エネモードというすぐれた設定も出す。それになによりアニメシリーズではわかりづらかった清正小町の「成長したささら達を手にいれる」目的の理由がはっきりと描かれているのは高ポイントでしょう。ネタバレを防ぎたいので内容は書きませんが、”物語を進行させる”キャラクター設定はきっちり作っていたほうがいいですね。
でも、ファンタジスタドールはこんなもんじゃないと思いますよ。
その奥深い設定を上手く活用した新たなファンタジスタドールが見てみたいです。
ふぅ、なんとか作品について書きたいことを書けたので、まとめに入りましょう。
第1回から書きたかったのは、「TVで知る」時代から「ネットで知る」時代 になったということです。
かつてアニメはテレビで見るものであり、テレビは最大の娯楽・情報源でした。
他に有力なチャンネルを知らない限り、情報はテレビから知るものでした。
どんなにつまらないものであっても、テレビ地上波で放映されるものは大体目にしていたのです。学校・職場から帰ってきたらテレビを点け、暇があったらテレビを点けている。空間に誰も居ない時でもテレビを点けている。夜のまったり時間のお供にはテレビ。そんな環境の中で育ってきました。
それがいつの間にかテレビを点けていることが苦痛になってきます。どうでもいい情報。中身のない番組。本質に迫らないニュース。特にニュースはテレビを見なくなった主因だと今気付きます。世界で起きていることの本当のことを知りたければ海外のニュースやネットニュースを見るしかない。司法制度とか、電波利権とか、党議拘束の問題であるとか需要な話題はネットに求めてしまいます。
情報バラエティにしてもtwitterやfeedlyを整備しておけばそれなりに充実した内容が入ってきます。見たいものだけを見る問題はありますが、こっちが娯楽の中心になっています。
で、アニメに関してもテレビを点けないので必然的に、ネットで知るくらいしか手段がありません。
その結果として私はファンタジスタドールを見逃し、この作品の知名度は低いまま。
この現実をどう考えたらいいのでしょうか?単に私がテレビを見るように回帰しろとかそういう話ではないはずです。今の私の情報の筋は2011年以前とは全然違っている。元に戻ることはないでしょう。
作品や個人が”世に出る”為にはインターネットを使うことが必須であるのでしょう。どれだけテレビに出ていても、ネットに出てこないのでは注目されない。既にそのような時代になり、ネットが時代遅れになる時もいつか来るのでしょうか。
もちろんネットに出たから”大衆”とつながれるとは限らないわけです。いろいろな人に拡散してもらってようやく人々と繋がれる。今、大衆とのつながりがダイナミックに変化を起こしている時であり、大衆や国民なるものが崩れている時であるのでしょう。
なんとか書き切れました。最後まで読んでいただいてありがとうございます。
また次回から好き勝手に書いていきます。