幼少期の教育に注力すべき/古市憲寿『保育園義務教育化』
日本の教育なり生き辛さの問題と、それに対する対策が書かれている本です。
今年リリースされた時に読みました。遅れながらコメントしてみます。
せっかくなら自分の子供だけではなく、この国に住む全ての人の「レベル」が上がったほうがいいと思わないだろうか。
抜け落ちてしまう視点。自分の子供が優秀でも、その子の周りに優秀な人間がいなかったら苦労することもあるだろう。大抵の人は我が子に優秀な人と結婚してもらいたいと考えているでしょうし。
現代の育児というのは、相当の「情報強者」か「経済強者」でないと務まらない。
10%の保護者が「子供のいない人がうらやましい」
子育てを経験した人からよく聞くのは、「子どもに手を上げてしまう気持ちがわかる」という話しだ。
「児童虐待の加害者は、人権侵害の被害者」
一体どれだけの負担を「お母さん」に与えているのだろうか。
「非認知能力」
実は、「非認知能力」は、人との交流によって育まれるものなのだ。
「教育」がきちんと研究されてこなかった日本
「人生はいつでもやり直せる」とか「人生に手遅れはない」というが、実際は人生は後から挽回するのが非常に難しいというのだ。
残酷ですが、現実。私も年をとればとるほどそれを感じますし、これからも感じていくのでしょう。いずれにせよ、乳幼児教育のほうがコスパがいいのだと。
他人と働くために必要な感情の制御
これです!これ大事です。人とぶつかる度に自分の感情が揺さぶられて振り回されていたんじゃ疲れるし効率も悪い!この感情とどうコントロールしていくかが大人になることの肝だと思っているのですが、みなさんどうでしょうか?
夏休みの宿題ができなかった子どもは大人になっても太っている
子どもの頃に自制心のない人は、大人になってからもダメなのだ。
これも、事実。ほんと耳が痛いですけど。
豊かな階層に生まれた子供たちは、子供の頃からの習慣で「努力」が難なくできる。だから学習意欲も高い非、結果的に学校の成績もよくなる。
貧しい家に生まれた子供のほうが「テストで良い点数が取れないと悔しい」と感じる割合が少なかった。貧しい家の子供のほうが、「意欲」という「非認知能力」が身についていないのだ。
幼少期の教育がその後に連鎖的に影響を与えていく事実。
挨拶ができる、相手に感謝の気持ちを伝えられる、文章読んだり書いたりすることが苦痛ではない 「文化資本」
が社会生活を送る上で必須なのは現実。
誰もがスマートフォンで世界中の情報にアクセスできる時代に、ただの「学力」の価値は、昔とは比べ物にならないくらい下がってしまった。
「非認知能力」の多くは、他人から学ぶものだという。
恵まれた家に生まれた人が英才教育を受けること自体は否定しない。だけど、僕はそれよりも「社会全体のレベル」をあげたほうがいいと思っている。
仕事でも新人を教育し続けないと仕事の質は上がりません。社会も人を育てていかないといい社会にならない。日本は(今の所)資源国ではないし、資源国のロシア等が大変な目にあっているのだから尚更です。
自分の子供のレベルをいくらあげたところで、その友人や、社会が荒廃していたら、それは「子育てしやすい国」とは言えない。
「日本人口会議」・・・何なんだろうこの会議。子供は2人までって...
今まで男性は過剰に下駄をはかされてきたのだろう。
もう間違いない。ボロは剥がれてる。
「非認知能力」は集団の中でこそ磨かれるものだという。だから、育児は家でひっそりするよりも、みんなの中でしたほうがいい。
経営者の目線からいうと、大都市で保育園が不足する理由は簡単にわかるという。それは、単純に言えば「儲からない」からだ。
幼少期に集団の中で育てて非認知能力を培う。これが最もコストパフォーマンスが良い行動であるというところが重要な主張です。
最後に、
上野千鶴子「社会は誰かが変えてきたんです。自然現象みたいに言わないでほしい」
ふぅ、久々に書いてみたら全然まとめられません。
こういうものって読んだ時にすぐ書かないと良いものが出来ません。
すぐには書けなくても読んだ時にメモを書いておくことが文章内容をよくすることにつながります。