自分の未熟さを感じるばかり
未熟さも多少の成長も感じる内容です。
まあいろいろあって自分の未熟さを感じる日でした。
普段人と話す機会なんてないので、いざ久々に人と話すと自分のボロが出ると言いますか、「話せない」部分が出て来ます。
オウム返しや相槌を打つくらいのことは出来ていたと思いますが、大事な部分、私の本音を探り出すような質問をされると、こちらがしどろもどろになってしまいました。
過去のブログに書いた内容が蒸し返されます。
自分に不利になる情報を明かしたくない 。私の情報を知ってつっこまれることを避けたい。
その性向は消えていません。
しかし昔に比べればマシになったように思えます。
ある程度”ごまかす”ことも出来るようになり、耐性もついています。
そもそも話しましたし、話した内容に言及されても大きなダメージを受けませんでした。
・・・飛び込んでしまえばなんとかなるものですね。
もちろん、相手にとってどうでもいい情報は発言しても意味がありません。
やはり発言することは相手にとって意味のあること、有用な情報である必要があります。
その為に発言内容を選びます。
ここで、今年の11月までの私だったら、その発言内容を選ぶことに脳の時間が奪われ、まともな会話が出来なかったでしょう。
ですが、ブログを書いてきた経験が生きてきました。
ブログに書いていたことを言葉として出したのです。
もともと言語化出来ていたことなのでしゃべりはスムーズになります。
言葉のストックがあることがコミュニケーションに役立つことを知った時でした。
...ブログ書いていて良かった。
頭の中のことを言語化するって大事ですよ。
普通の人(妄想)は友人や仲間と会話を重ねることによって言語能力、会話能力を発達させていくのでしょう。
しかし私にその力を育む機会は中々ありませんでした。
この記事や他の記事に書いている通り。
会話能力って本当にない。
コミュニケーションは主に言語によってなされます。
言語能力が高い人が話しが上手くなる傾向があるのは不思議ではありません。
言語の能力とは何か。
ちゃんと答えるのは途方もない時間がかかりそうなので、ここでは会話能力と文章能力を考えます。
会話能力は会話によって培われます。(当たり前ですね)
...あれ、書けない。まともな会話経験が少ないから何も書けません。
強いて言うなら学生時代にそばにいた学生が何の淀みもなくスラスラと会話をしていたことにショックを受けた記憶があります。
(その事を書いた記事がこのブログに載っているのですがもうどこにいったかわかりまません)
人ってあんなに喋れるものなんだなと感じました。
”ちゃんと話せる”事は私の目標であり、憧れです。出来るようになると思ってるけど。
文章能力は書く事によって培われます。読む事じゃないですよ。書く事です。
特に、自分の言いたい事を文章にすることです。
言葉は何のためにあるのか。自分の意思を伝える為にあります。
たとえ拙い表現であっても想いを言葉にすることは意味があります。
言語にすることで他者にも理解できるコードになるからです。
当然それで本当に理解されるとは限りませんし、言語化は万能じゃないです。
言葉以外のコミュニケーションツールもあります。しかし言葉は最も強力なコミュニケーションツールです。
この言葉を鍛えるだけでどれだけ自分の助けになるか。
私も拙い言葉ばかりですがこのブログを書き続けています。
それが自分の力になるとわかったから尚更続けていきます。
国語の授業って大事だったのかも。
文章でも、アウトプットをやっていくことで実際の会話にプラス効果が出ると知れたのは大事な収穫です。
しかし、まだまだ。言葉の端々に淀みが出まくっております。
この淀みがなくなっていくのが楽しみです。
そろそろブログを改題しようと思ってます...
どういうタイトルがいいのか。
第二の人生ブログとか...?