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自らの価値を肯定してもらえるということー岡田尊司『愛着障害ー子ども時代を引きずる人々』(2)

共感とは一体なんだろうか?

オンラインでもオフラインでもコミュニケーションの話になると出てくる「共感」。この本・記事でも共感に関する話は出てきます。納得できる答えが出てくるのでしょうか?第1回に続いて見てみましょう。

 

y-synchro.hatenablog.com

 

 

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

 

 

 

愛着障害?子ども時代を引きずる人々? 光文社新書

愛着障害?子ども時代を引きずる人々? 光文社新書

 

 

 

 

ちょっと長いですが本文の大事な部分を引用します。

 

部分対象関係の段階にある子供の場合、自分のした行為と「叱られる」という結果を結びつけて考えることくらいはできる。こうして、子供は「ある行為をすると叱られる」という条件付けがされるのだが、なぜ自分が叱られるのか、ましてや、なぜ母親が涙を浮かべているのかを理解することまではできない。

しかし、全体対象関係に目覚めた子供は、自分の行為に対して、母親は怒っているだけでなく、悲しく思っているということを理解する。それによって子供は、「ある行為をすると叱られる」とう条件付けがされるだけでなく、「自分が悪いことをして母親を悲しませてしまった」ことを理解し、自分も悲しい気持ちを味わうことができる。そこから、後悔や自責の念と言ったものが生まれ、真の反省や行動の制御へと繋がっていく。

部分対象関係と全体対象関係を隔てるものは何かといえば、それは「相手の気持ちがわかるかわからないか」ということであり、言い換えれば「共感性が芽生えているかどうか」ということである。

相手と同じ感情を共有するのって、人と最もつながりを感じられる時です。

こちらの心の動きと、相手の心の動きが一緒。

相手の為にすることが、そのまま自分の為になる。相手が何を欲しているかわかる状況。相手の為に何をしたらいいかわかる状況。

味わいたいものです。

 

愛着障害であった 偉人たちの話も挟みつつ、愛着障害者がどんな社会生活を送っていくかを教えられます。その中にまた痛い言葉が。

キャリアの積み方も場当たり的

痛い痛い痛い。痛すぎる。これ私じゃないですか。いくら自分で満足していても、世間から見りゃ酷いキャリアです。

愛着障害を抱えている人は、青年期に迷いやすい。

迷ってますよ。もうすぐおっさん期に入りますけど。

 

アイデンティティのことにも触れます。

「自分が自分である」ことに違和感があると、自分がどういう社会的役割を担うにしろ、無理しているという感覚を伴いやすい。その結果、ある役割を本心から果たすのではなく、「演じている」という感覚を持ちやすくなる。

人生や世の中に対して第三者のように関わっているということである。そこには、どこか超然とした達観があり、自分が対等なプレイヤーとして加わることを、最初から諦めている。

「自分には『空腹』という感覚はどんなものだか、さっぱり分からなかったのです。変な言い方ですが、お腹が空いていても、自分でそれに気がつかないのです」ー太宰治人間失格

 

自身のことから、他者との関係のことに触れていきます。「共感」に関する重要な部分です。

安全基地を持たず、自分の欲求や感覚よりも、周囲への気づかいの方に全神経を注ぎ込み、空腹を満たすという本能的な喜びにさえ気持ちを注ぐことができないからである。

質感情症(アレキシサイミア)は、他人と喜びや悲しみを共有することの困難にも通じる。共感したくても、それを実感できないから、共感しようがないのである。

  ほとんどのことに経験があります。誰かとつながりたくても、繋がる為の回路を持っていないから繋がれないことの寂しさといったら......

愛着スタイルは、その人の主要な関心ごとを支配することで、行動を左右している。回避型の人は、対人関係の煩わしさを避ける為に、仕事や勉強に逃げ場所を求めている面もある。

回避型の人は、自己開示を避ける結果として、自己表現力が育ちにくいという事態を招きやすい。

私がそうなのですが、思い当たる節はないでしょうか。

回避型の人は、面倒くさがり屋でもある。やらなければならないとわかっていても、厄介なことはあと回しにし、お尻に火がつくまで放っておくということも多い。

回避型の人は、自分を開示する事に慎重になり過ぎ、すっかりお膳立てが整っているのに、足を踏み出せないという事になりやすい。

これも...私です .

 

y-synchro.hatenablog.com

お尻に火がつくまで...ね...。

 

愛着スタイルについて、「安定型」、「不安型」、「回避型」、「恐れ・回避型」の4つが挙げられています。どれも大事なのですが、ここでは私に近い回避型の引用をさせていただきます。

 (種田山頭火の)他人と衝突を嫌う無抵抗ぶりも、回避型の特徴と言えるが、妻子を失うことを、あっさり受け入れてしまう根底には、人との絆というものに対する深い諦めの念があるように思う。

相手にとっては少しショッキングなことであるが、回避型の人にとって、たとえ愛するパートナーが苦しんでいても、そのことのを自分の痛みのように共感することは難しいのである。 心の構造が違っているため、さらに言えば、脳の働き方自体が違っているため、安定型の人が、パートナーの苦痛を思いやるようにはできないのである。あくまで他人事として、客観的にしか受け止められない。共感的な脳の領域の発達が抑えられていると考えられる。

卒業式の時に、みんながどうして泣いているのかがまったくわからなかったという。 

男女を問わず、回避型のパートナーを持つことは、いざという時に助けになってくらないどころか、むしろ怒りの反応に遭遇することになるのを覚悟しなければならない。回避型の人にとって、頼られることは面倒事であり、面倒事を持ち込まれることは怒りを生むということなのである。

 他人事、は大事なキーワードです。相手との共感がないと他人事としか思えない。私の場合母からの仕事も他人事としか思えない。だから全く進まないのか。

 

y-synchro.hatenablog.com

自分のことすら他人事と思って過ごしてきましたよ、今年。 

 

後半に出てきます。言語化が。

言葉を介した、認知的なプロセス

一度も言語化される事なく、ただ傷ついた思いだけが、悲しみや怒りといった強い情動とともに渾然一体となって、心の中に海の詰まった袋のような病巣を作っている

 

言語化。めちゃくちゃ大事です。思いを言葉や文章にするだけでどれだけ心が救われるでしょうか。何回書いても書き足りません。

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そして、社会の中での役割について。

自分がやるべき役割を担い、それを果たそうとして奮闘するうちに、まず周囲の人との関係が安定する。

役割を持つ事、仕事を持つ事、親となって子供を持つ事は、その意味で、どれも愛着障害を乗り越えていくきっかけとなり得るのである。どんなに愛着回避が強く、人付き合いが苦手な人も、必要に駆られて関わりを持つようになれば、対人スキルが向上するとともに、人と一緒に何かをする楽しさも体験するようになるものである。

自立の過程とは、自分が周囲に認められ受け入れられる過程であり、同時に、そうした自分に対して、「これでいいんだ」と納得する過程でもある。自立が成功するには、この両方のプロセスが、うまく絡み合いながら進んでいく必要がある。どちらか一方だけでは成り立たない

他者に受け入れられるプロセス。そうですね。誰かに受け入れてもらっていると思えるから、自分が立っていられる。書いていて辛いです。そのプロセスを味わっていないから。

 

 

 

コミュニケーションの問題はずっとつきまといます。過去も現在もこれからも。

他者との絆形成がうまくいかない原因に愛着の問題があることはもっと知られるべきです。読了すれば、人間関係づくりの根底にある愛着という言葉の力を借りて、コミュニケーションの回路のあるなしに目を向けることができるのではないでしょうか?

 

最後にこの本文を引用して終わります。

 

人を信じる事ができるためには、自らの価値を肯定してもらえるという体験が重要なのである。

   

 

 

本の感想です。

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