書かないと気持ち悪くなるみたいです......
ブログを書き続けた人間が書くのを中断すると気持ち悪くなってしまうという個人の感想を書いた内容です。
正月最初に記事を書いた後、Evernoteの保存や母をたずねて三千里の視聴、読書にかまけていてブログを書いていませんでした。
その時の欲望で動くってヤツですね。
どうも、言いたいこと書きたいことを書いていないといろいろストレスのようなものが溜まるみたいです。
本を読み進められなかった。
ひとつずつ、ひとつずつ ――書くことで人は癒される (フェニックスシリーズ)
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こちらKindle版です。
面白い本なのに読み進められないとは一体私はどうしたのだろうか。
ブログのチェックも面白くないと感じてきていますし、読むより書くほうが楽しい感じです。
(現に今こうして書き出すと精神が安定してくる)
先が思いやられる新年のスタートになった気がします。
こうなっている原因は.....
引っ越しできなかったことですね。
「環境を変えなかった」ことが積もり積もってストレスになっています。
今居る部屋も、使っている机も、やっている作業も、昨年と似ています。
これでは気が滅入るのも仕方ないんです。
昨年あるものがそのままリセットされずに置いてある。
昨年の宿題のようなものがせまってくる感覚。
気分を下げてくれます。あ〜あ。
体調面でも不調発生。
食べ過ぎて気持ち悪い......。
お腹減ったら減ったで気持ち悪いのに......。
— 生存疾走 (@Y_synchro) 2016, 1月 3
あぁ、あかん。食べ過ぎよくないです。
— 生存疾走 (@Y_synchro) 2016, 1月 3
全部自分のせいじゃねーか!
まあその、私のせいなんですけど、それだけ食べてびっくりしてしまう体のほうもどうかと思うんですよね。めちゃくちゃ少食。
抱え込んでいるものも多数。
多量の情報量を処理しなければいけなくなってパンクしそうな感はあります。
あくまでも”感”です。
ひとつずつやっていけばなんとかなることなのです。
放っておいたから今になって苦しくなる。
その日の仕事はその日のうちにやりましょう。
いい事も悪い事も積み重なります。
家族問題
母と何度も衝突することで問題の本質に迫ってきたように思います。
母や家族と話す際になぜイライラが発生するのか?
どうして頼まれごとをするのがこれほどイヤなのか?
ザックリ言ってしまえば、親子の絆・情がないからだと思います。
気付いた時、一瞬ドキリとしましたが、言葉にすると腑に落ちるのです。
母の役に立ちたい、とか。
母の喜ぶ顔が見たい、とか。
母の負担を軽減したい、とか。
そういう感情が自分の中に全く湧かないのです。
私の心の中に私しかいない。
28年以上共に生きてきて、母の為に何かしたいとか、母のことならある程度わかるって状態になっていないのは、相当ヤバイです。
会社や組織や家族や共同体って、お互いの人的リソースを分け合うものだと思うんですよね。人的だけじゃないですけど。囲い込む人もいますけど。
互いの力を分け合うことで仕事を達成し、生活をしやすくする。
誰かに助けてもらう分、こちらも誰かを助ける。(はずです。はず。)
だからこそ仕事ももらえるし、大きな仕事も出来る。
さて、私の家族はそんなことをやってきたのだろうか?
答えは否、と言わざるを得ない。
これまでに何か協力してやってきたことなんてあるのだろうか?
互いの力を分け合ったことなんてあっただろうか?
母は母の家族で協力し合ったことはあったのです。母の兄弟を見ていればわかります。
同じ気分で私に接しているのだろうか?
母との(大きくはないかもしれないが)確執は続きます。
仲悪いってわけじゃないんですけどね。
結局自らの事を語る場になってしまった......
人に読ませる文章を書く領域になかなかいけません。
自分の思いや考えを文字化するので手一杯です。
しかしそこを経ないと文章が上達しないのも事実でして、めげずに書いてまいります。