自らをさらけ出す必要
自身のコミュニケーション能力に関する話です。たぶん。
感じています。
自分のことを話さなければいけない必要を感じています。
訪問者の皆様。皆様の事を知っている人間がこの社会にどれだけいらっしゃるでしょうか?
多い人、少ない人、様々いらっしゃると思います。
私は少ない人です。
私の事を知っているのは、家族・親族・仕事関係の人・学生時代の(数少ない)友人くらいでしょうか?
誰とも深い関係になっていません。
誰も私の事を深く知らず、仕事を紹介できない状態になっています。
別に仕事の事だけを考えているわけではないのですが。
気軽に話し合える間柄は大事です。
1/6分のブログに書いたように、あれこれ考えなくてもいいからです。(いつもじゃないですよ)
少しでも多く話し合えていたら、お互いに得るものもあったはずなのに。
別になにもかもさらけ出せというわけではありません。
私もこのブログに何もかも書いているわけではないです。
しかし自分の事を話そうとしないことが、結果としていろいろなものを失う可能性はあります。
どうしてそれを言ってくれなかったの?
そう言われた経験が沢山ないでしょうか。
何がきっかけで仲良くなるかわかりません。
同じ興味・関心を持っていたり、どんな考え方を持っているか聞きあったりして話が進むこともあります。
初めての人と話すときはいろいろです。
根掘り葉掘り聞いた方がいい時とそうでない時。
書いていて苦い思い出が甦ってまいりました。
なるべく自分のことを積極的に話したことがあります。
そのおかげで相手方の情報を聞き出すことが出来た事実もあります。
ではその方と仲良くできたか?
そうではなかったのです。
まぁなんというか、おそらく相手にこちらと仲良くする気がなかったようです。
おかげで一通り話した後は然程話すこともなく、disられさえする始末。
腹は立ちますが、それで相手のことを悪く言うとかそんなこと言いたいのではないのです。腹立てるのもエネルギーの無駄ですし。
話しあったからといって、仲良く出来るとは限りません。
書きながらまたひとつ分かってきました。
今こうして書いていて、書くべきことを頭から探しています。
でもいつもそうなわけじゃない。
過去のブログでは書きながら書きたいことがどんどん出て来て、早いスピードで文字数を埋めた記事が複数あります。
会話に於いても同じことが言えるんじゃないだろうか。
話しているうちに話したいことがどんどん出て来る状況。
私はこれまでの人生でほんの少し、ほんの少しだけその気分を味わったことがあります。
書ける・話せるのは、それだけの脳内ネットワークを持っているから出来るんじゃないでしょうか。
脳内の言語回路・記憶回路がきちんと繋がっていると、一つのキーワードから芋づる式に言葉が出て来る。ラジオのトークを聞いていると、その回路を感じます。
その回路がどうやって鍛えられるかというと、普段のコミュニケーションなんですね。
普段からやりとりをやっているから、脳内回路が鍛えられる。
うらやましい。
話が出来る人・文章が書ける人というのは話せるだけ書けるだけの知識があった、なおかつそれをアウトプット出来る状態にある人なんですね。
私も四半世紀近く知識を貯めてきましたが、その知識たちが有機的に繋がって一つの結果を出せたことがあったでしょうか?
ありません。
自分一人じゃどうにも出来ない。その限界を感じています。
全部含めてブログを書いている。
本当に自分をさらけ出す必要はないですが、自身の脳内回路にプラスになることは積極的になっていきたいのです。
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