とにかく書くことーアン・ラモット著 森尚子訳『ひとつずつ、ひとつずつ 「書く」ことでひとは癒される』(1)
ものを書くことに関して考えるために読んだ本の記事を書いていきます。
過去の感想記事と同じようにコメントをつけていきます。
人はみな、誰かに聞いてもらいたい感情や考え、その人なりの意見がたくさんある
机に向かい実際にそれを文章にしなければ何にもならない
誰もが理解できる部分だと思います。私も同じような事を書いてます。
私のもの書き仲間は、書いている時、何をするよりも気分爽快だし、生きていると実感できる事があるという。それと、うまく書けるときは、自分が何かに突き動かされて書いている気がするとも。最もふさわしい言葉や真実の言葉はすでに頭の中にあって、書き手はその言葉を外に送り出す手助けをするだけでいいという気がするというのだ。
調子に乗って書けるとき、気分良く書けるとき。そういう経験をしたことはあります。
それが自分以外のものの意思によって書ける経験は、まだありません。
自意識は黙らせてしまうこと
自分の心や、自意識で書くのではなく、作品の情景や人物の声を発すること。
......私自意識だけで書いている。
やがて作品の方があなたに書かれたいと願い、あなたに書かせようとするようになったとき、あなたは自分がその邪魔をしてはならないと感じられるようになる。
現実は、毎日一心不乱に音階の練習をして、少しずつ前よりも難しい曲を習い、尊敬する偉大な音楽家の演奏を聴いていくなかで上達するのみ。
ものを書くということは、心の一番奥の深いところにある欲求、自己主張したい欲求、話を聞いてもらいたい欲求、自分の人生を有意義なものにしたい欲求、悟り、成長し、居場所を見つけたいという欲求がさせる、切羽詰まった行為なのでしょうね。
書くことには様々な作用があります。私自身も書くことで多いに癒されてきました。
それがある程度書いてしまうと何を書くべきかわからなくなるときがあります。
そんな時でも、やはり書くんでしょうね。
頭の中の自分が勝手に、その場にいない人と話をして貴重な時間を浪費してしまう。
子供時代に味わった痛み、大人になってからの喪失感と挫折、子供時代にも成人後にも共通の屈辱感、こういう傷を負った心の場所の周辺の筋肉は、同じ痛みを二度と味わわないで済むよう、そして異物が入ってくるのを防ぐため、痙攣して防御体制ととる。ところがそれで古傷は完治のチャンスを逃してしまう。
希望のない小説を書くことには、ほとんどの場合意味がない。人間は誰でもいつかは死ぬ、これは誰でも知っている。大事なのは、死を目前にした時に私たちがどういう人間であるかということ
キャラクター自身よりもあなたの方がキャラクターを良く理解している振りなど、絶対にしてはいけない。
人間関係が発展するところからプロットは生まれる。
ああ、そうだ。人間関係がないと何も始まりません。
あなたにかけるのは、あなたの視点から見た人生とは何かということ
はい。書いたものは書き手の世界観が投影されます。その自覚は常にしておかないと。
作家は、夢を想像し、そこに読者を招き入れる。だが、その夢は生き生きとして途切れることなく流れる夢でなければならない。
途切れることなく流れる夢。書くことは途切れさせてはいけないのですね。
劇的展開を書くための基本の公式は、設定と進展を結末で構成されている。そう言えばジョークにもこれが必要
覚えておこう。
キャラクターのことは実在の人間から学ぶのであって、読んだ本から学ぶものじゃない
...反省します。
長くなりそうなので分割します。
面白いブログを書いていくのって難しいですね。
いや、今まで面白かったかというとそうではないのですが、せめて自分が書いていて楽しいものにはしたいのです。
最近はそれがない。
毎日ものを書くだけでここまで手こずる私はどうなってしまうのか?
なかなか書けない理由はだいたいわかってます。
頭に刺激が入ってくる必要
— 生存疾走 (@Y_synchro) 2016, 1月 12
脳に新しい刺激を与え続けないといけないのです。
外に出て、新しい事、新しい仕事をして、変化を繰り返していきたいのです。
同時にブログも新しい内容のものを上げていきます。
出来るのか.....やるんですよ
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この本早く読もう。5年前の本になってる。
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