とにかく書くことーアン・ラモット著 森尚子訳『ひとつずつ、ひとつずつ 「書く」ことでひとは癒される』(2)
書くことと読むこと両方を考えてみたいです。
1記事目はこちらです。
作者が時間の経過をじつにうまく書いた結果、一定の時が過ぎて物語が再開するように感じられると読み手はゾクゾクさせられる
全く同感ですが、ハードルは低くないんだろうな。
世の中には、貴重な情報を教えてくれる人が数え切れないほどたくさんいる
ものを書くということの大半は、毎日机の前に座ってかくことを意味する。そして、あらゆることから吸収する習慣、そこの価値を見出す習慣を身につけるということでもある。
わかってはいるけど、経験がないからわからない。
真実はキャッチボールの受け手にも投げてにも硬くて痛いボールみたいなものだと言った
私たちは、困ったことが起きたら解決しなさい、物事変える努力をしなさい、不愉快な気分は抑えるようにしなさいと教えられてきた。ところが、与えられた現実を受け入れると、あなたは解放され、その結果として生まれる余白の空間を別のもので満たすことができる。
自分で自分の運命を決めているのだという幻想をいだいていたくて、自分でルールを勝手に作り上げている
身に痛い言葉が続く。
人生はリサイクルセンターみたいなものじゃないかしら。人間のあらゆる心配事や一大事が宇宙を飛び交いリサイクルされては人間の世界へ戻っていくという繰り返しが行われる
いかにも作り手の言葉って感じがします。好きです。
誰かのスタイルを模倣するのは自然なことで、返却するまでちょっと使わせてもらう小道具だとわかった
使わせていただきます。いろいろと。
心の内にあるものを明らかにすれば、明らかになったものがあなたを救うであろう。心の内にあるものを明らかにしなければ、明らかにしなかったものがあなたを滅ぼすかもしれない。
ここで私もひとつ明らかにします。本当に中身がない!私の中。今こうして書いていても、自分の中身のなさに驚くばかりです。そりゃ友達も出来ないでしょう。
全てを明らかにすることはないのだろうけど、増やしていきます。
作家は「与える」人
与えること自体で自分が報われなければいけない。
与える人になることには宇宙ほど大きな意味がある
自我を忘れて、誰かの為に存在するってどういうことかを教えてくれる。これがたぶん幸福になる秘訣
誰かの為に生きること...今年の私のテーマにもなっています。
書くことがどれほど大変かが理解できると、読んでいるときの理解も深まるし、身を入れて読むようになる。
そうですね。ちょっとでも書くことをやっていると、書籍の情報量の多さに圧倒されてしまいます。びびってはいけないんですが。何かひとつ物事をやるというのはそれを成り立たせるために見えない努力があるのです。
とりあえず書き切りましたが、う〜ん。まだまだいい感じではありません。
本を読むのは楽しいです。
ただ読むだけでは意味がない。知識はアウトプットしないと意味がないのです。
今調べたら昨年5~11月に全然本の感想書いてませんでした。
— 生存疾走 (@Y_synchro) 2016, 1月 12
本の記事も書き続けていきます。書いた記事によって、読んでくれた方や私自身に良い変化が起きれば幸いです。
そういや、ふと自分が書いた、
わかってはいるけど、経験がないからわからない。
は、真実なんじゃないだろうか?知識に助けられたことはありますが、単に知識があるだけでは経験したことにはならないから、「わかる」とはならない。「わかる」のは経験したことだけ。
では知識は何の為か?
その答えもまた「わかりません」。
できることは、知識を元に経験を増やしていくことでしょうか。昨年は経験しなさすぎでしたから、今年は増やしていきたいです。
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