情報の収集を止めてはいけない...か?
twitterやらfeedlyやら様々な情報取得手段を使っていましたが、最近サボリがちです。
いろいろなことに興味をなくしていきます。
自分の仕事は、自分でつくるやまじめ系クズの日常や人生かっぽー佐藤大地ブログなど一時熱心に読んでいたブログを読みサボっています。
自分自身の興味関心が変わってきているのですから接するものも変わって来て当然なのかもしれません。
しかしそれによって失っているものもある。
久々に(今)見返すと、やっぱり面白い。
どうしてこの貴重な記事をリアルタイムで見ていなかったのだろうと後悔します。
けれども自分の興味関心が向かわない時もあります。向かわない気持ちに従ってしまえと思う時もあります。
情報にはどのように接するのでしょうか?
人から接する、新聞から接する、テレビから、ラジオから接する......様々あります。
この内、テレビ、ラジオは非常に楽です。ただ点けるだけで、都合よく編集された情報が入ってきます。受け身でいい。
その点それ以外のメディアだと自ら能動的に追いかけなければ情報を得られません。
ボーっとしているのでは何も得られない。
何のアンテナも張っていないでいると、どうでもいい情報、口当たりのいい情報しか自分に入ってきません。
本当に自分に必要な情報が入ってこなくなる危険性が発生します。
ただ単に危険なのではなく、自らに良い影響を与えるチャンスを悉く失う可能性もあります。
良い情報に触れていると、良い人間になる(可能性がある)。
つまらない情報ばかりに触れていると、つまらない人間になる。
生きている内は誰かから影響を受けるのも、誰かに影響を与えることも避けられない。
— 生存疾走 (@Y_synchro) 2016年2月22日
生きている限り、何かから影響を受けることは避けられません。
そうであれば、いい影響を多く受けたいと思うのは当然のこと。
それに、過去に受けた影響だけで、生きていけるわけでもありません。
この記事のような優れた文章を読み、影響を受けたとしても、その後の人生でずっと人の心の中で輝きを放ち続けるかというとそうでもなく、数日か数週間経てば結構頭の中から消えているもんです。
そうして消えてしまって、良い影響を受ける前のつまらない自分に戻ります。
これは良くないですね。
(昔速読の影響を受けているときはそれなりにトレーニングやっていたのにいつしかやらなくなりました。
バイクに関しても勉強していたのにそれもいつしかやっていない。
1日1冊読書......)
変わりたいのなら、より良くなりたいのなら、自分を更新し続ける必要があります。
自分から発信するのも手の一つです。
絶えず新しい情報を受け続けることも手の一つです。
良い影響を自分の中に溜め込んでいきましょう。
......と書いたのですが、情報漬けで疲弊することもまたあるのです。情報を受け過ぎて感覚が麻痺しそうになったこともたくさんあります。
なので、重要なのは”自分に不必要な情報をシャットダウンする”......というどこかで聞いたことのある結論になってしまうわけですが、どうだろうか?
読んでいただいてありがとうございます。