防げたはずのミスから見えてくるもの
この記事の続きです。
意識がちゃんとしていれば、防げたミスを経験したことで、感じたことを書きます。
多くの場面で本当は見なければいけないものを、見ないようにしているのではないか。
今回は数秒で、私が事実を見ていないという現実が表明されたけど、実生活や社会生活おいては、その結果が出されず、真実を認識することがないのではないか。
そう思わざるを得ないのです。
見るべきものを見れていないために、得られるはずの利益を得れていないのではないか。
するべきことをしていないために、誰か他の人に迷惑をかけていないか。
そしてその事に気づくことすら出来ていないのではないか。
見えていないから、気づいていないから、問題にすらならない。
そのような潜在的問題が存在するはずではないかと。
怖いですね。
見えていない。意識していないって。
問題や間違っていることをわかりもしないって。
そしてある時突然襲ってくる。
見えていなかった諸問題が。
お金がない。
時間がない。
用意すべきものが用意できていない。
便利ツールがあればすぐに終わっていたのに、それがないため手作業でする羽目になる。
放っておいた子供の感情が爆発する。
放置しておいた、関係ないと決め込んでいた人間関係問題に火が付く。
本当に見えていなくてどうしようもなかったと言いたくなりますが。
被害を受けるのは自分です。
自分を含めたいろんな人が巻き込まれる。
被害を受ける現実と見ていなかった自分を無関係だと言っていられるでしょうか?
言わない方がいいのです。
自分に降りかかることが全て自分の責任だと思わないと。
自分で自分の人生をコントロールする意思を失う事になります。
失いたくない。
見えている・わかっているものには先延ばしにせず対処する事。
見えていないものがあると思って生きていく事。
認識外の事態が起こると思って人生の余裕を作っておく事。
そう生きていこうと思ったのでした。