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超人には必ず対になる悪がいるーコンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜の感想

http://concreterevolutio.com/

(公式サイト)

 

 

 

 

 

いいものを見た。

 

テレビやアニメや特撮を見続けて、會川昇作品を好きになって、昨今のテレビの衰退にもの思うところがあった私に、一つの結論を与えてくれた。

 

最終回は慌ただしく、いかにもテレビアニメの最終回だなーと思った回でした。

まとめるべきことを一気に書き出して、とにかく終わらせてしまうこの感じ。

最後の方駆け足になってしまう作品って沢山ありますよね。

 

 

 

テレビの終わり

よく理解していない初見の時も、これで、これで、テレビとテレビアニメの歴史が終わったと思った。

 

  • 少なくとも、『侵略!イカ娘』が夕方でなく深夜で放送されていたことを嘆いたりすることは、もうない。
  • プライムタイムや夕方帯からアニメ番組が追い出されたこと・追い出されることを悲しむことはない。
  • 深夜帯に放送されたアニメを見て、これは”テレビ”アニメではないと思うことはもうない。
  • ファンタジスタドールがなんで明るい時間にやらなかったんだと悔やむことはもうない。(いや、これはそうでもないか。)
  • なんでタイドライン・ブルーが深夜放送なんだとか。
  • 深夜帯に少ないネット局で放送開始!なんておかしいだろ、とか。
  • かつてみんなが見るものだったテレビがそうでないものになっているとか。
  • 涼宮ハルヒシリーズが当たったからって、安易にUHFアニメに制作側が流れていったことをなんだかなーと思ったりとか。
  • テレビアニメは枠取って全国ネットでオンエアすべきだと思っている自分の気持ちとか。
  • 怪談レストラン以降プライム枠でアニメを作ろうとする気が見えないこととか。
  • かつてはなかなかアニメ化できなかった作品をいとも簡単(実際はわからないけど)に深夜アニメ化してしまうとか。
  • ひどいタイトル名のラノベ原作アニメが広告されてしまうとか。
  • バスカッシュ!東のエデンからテレビアニメらしさを無理矢理に探し出してしまったり。
  • かつてのテレビアニメを追いかける自分。
  • 深夜アニメにテレビアニメほどの力がないことを悲しむ自分。
  • 超一流のスタッフの作るものが多くの人に見てもらえないもったいなさ。

 

これらの私の抱えていた思いが、すーっと解体された。

 

もういいんだ。

テレビは終わって。

 

 

 

 

作り手にとっては、自分達の1970年代に決着をつけたのかもしれないけど 、それがそっくりそのまま私にとっては、テレビ時代へのさよならを意味することになった。

 

もうテレビの幻想に振り回されなくていい。

 

つまらないものは見なくていい。昔のテレビの幻想を求めなくていい。テレビを見て盛り上がらなければいけないなんてことはない。話題についていけないなんてことはない。

 

拘泥はなくなった。

 

 

山本陽介ってすごい才能だな。 

 

 

 

作品について

とても好きな作品なんですが、詰め込み過ぎてわかりにくいです。全体的に。

第1話なんて第1話なのに2つ(以上)の話が入っていて情報量多すぎる。

そのわかりにくさが人によっては作品から遠ざかる理由になるかもしれません。

 

でも、見て欲しい。

情報を整理すれば見えてくる。

超人幻想を求める爾郎の心が。

 

 Blu-ray数年かけて集めます。

 

この作品をシン・ゴジラの前に見れて本当に良かった。

 

30歳になる前に見れて本当に嬉しかった。

 

 

 

 

 

超人には必ず対になる悪がいる。

 

超人には必ず対になる悪がいる_______。

そう。

正義のヒーローが正義のヒーロー足り得るのは、倒すべき悪がいる時だけ。

悪がいなくなれば、もう正義でもヒーローでもない。

僕達が好きになったヒーローは悪がいたからこそヒーローでいられたのだ。

(本当はこんな簡単な解釈ではないんだろうけど)

 

そんな、そんな、たった当たり前のことを。

こうも、こうも、熱く語れるのか!!!

 

憧れて好きになったものは、現実には存在しない。

自分がなれるわけでもない。

 

そんなものを追い求めて何になるのか。

 

 

たった一つの正しいことを求めても、自分の心すらままらない。

それでも、探し続けることに意味はある。

 

 

爾郎がそう言う。

 

 

 

 

 

 

 

ま、これだけ書いておきながら、自分が爾郎の側か里見の側かと言ったら、完全に里見の側なんですよね。

 

子供の頃に憧れた気持ちを否定しないにしても、その夢から醒めて大人になることをよしとしている。

喜びすら感じている。

 

フィクションに耽溺し、その中に溺れ込んでいた自分はもういいだろ、って思っているんです。

 

もしかしたら、作り手の意図には反しているかもしれないけど、この作品によって、私がフィクション作品に没頭することから、卒業できたのかもしれません。

少なくとも距離をおいて考えることはできるでしょう。

 

 

 

しかし子供達にとってはどうだろうか?

フィクションを必要としている人達は存在する。

その子達の幻想は守らなければいけないのではないか?

 

もう自分の幻想ではなく、誰かの幻想の為に頑張るしかないのか。私は。

 

 

 

 

自分の純粋な気持ちが失われるとき、爾郎に問われるんじゃないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

君はまだ歌っているか?  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこあに「コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜」<前編> #437

そこあに「コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜」<後編> #438