舐められることを恐れる必要なんかないですよ
どうして、他者から甜められることを恐れるんですかね。
その本人からではなく、状況を見ている周りの人間に自分の姿を見られたくないからかも知れませんが。
舐められることの何が問題なのか。
私はチームや組織ではないので、個人のことを書きます。
舐められるというのは、軽く見られる、存在を認めてもらえない、ということを意味すると思います。
自分が他者からそういう扱いを受けるのは嫌だ、誰かから舐められたら、他の人からも舐められるのではないかという思いはわかります。
でもね。
舐めてかかってくるか、そうでないかは、本人が決めることですよね?
相手の課題。
こちらがなんとかできることではない。
アドラー心理学ですね。
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自分のことをどう思うか、それは相手が決めること。
相手の自由。
それに、こちらを舐めてかかってきて、痛い目を見るのはどちらでしょうか?
人を舐めてかかった側ですよね?
舐められた側ではない。
人を軽く扱う人間は必ずその報いを受けます。
軽く扱われた側の人間ではありません。
軽く扱った側の人間が、です。
痛くも痒くもないじゃないですか。
自分のことを好きなるもの、嫌いになるのも、相手の自由。
相手のした行為の報いは、相手が受けます。
それなのに。
オレのことを舐めるなよと言ってくる奴がいる。
舐められてはいけないと思っている人がいる。
堂々としている人間に対して、ひたすら私を舐めるなと言っている人間。
そんな人間をどう思いますか?
この人は私を恐れているのか?
って思いますよね。
あまりにも弱く見える。
自分を舐めるなよとか、舐められてはいけないと思っている人ほど、弱く見えるんです。
自分に自信のないことの表れにしか見えない。
組織やチームや会社となれば、話は違うかも知れませんが、少なくとも個人に関しては、「私を舐めるな」と言う人間ほど、まぁ優しく対処すればいいんでしょ。
自分が舐められたらどうする?
→
そんなのは相手の自由です。私を舐めることで痛い目を見るのは私ではなく、本人。
ご自由にどうぞ。