さよなら、私の20代
間も無く2016年が終わります。
来年は、私は30歳になる。
20代が終わります。
で、今年はその節目を表すような出来事が複数ありました。
この記事では、20代の日々を整理し、新しい時代に不必要なものを引き摺らないよう、別れを告げようと思います。
コンクリート・レボルティオの最終回───テレビの終わり
ずっと前から終わってはいたのですが、この作品の最終回で、それがさらに確実になったと示されました。
みんなでテレビを見る時代じゃない。
その幻想は追い求めない。
自分のことばかり考えることの終わり
これまで私は自分のことばかりを考えてきました。
他者のこと、他者の都合、他者から見えているものが何であるかなど、考えたことも経験したこともありません。
2月の時点で、少し気づいてはいました。
自分の言いたいことを言うだけでなく、相手の言いたいことを言わせる。 自分に何が必要なのかを伝え、相手の必要としていることを知る。 コミュニケーションそのものに私の心が向かっている。
書きたいことを書ききった? - 生存疾走更新
(こんなこと自分が書いていたなんて、今驚いているんですけどね。)
そうだ。自分のことばかり考えていると、他者のことが見えるわけがない。
わかるわけがない。
相手とずっと噛み合わない会話をして、時が無限に過ぎていくのだ。
だから他者の思考や感情に寄り添わなければいけないのだが。
自分のことで頭や予定がいっぱいだと、他者のために自分自身を使うことができない。
だから自分のことは常に整理をし、余裕を作っておくことで、相手の思考に同調する自分を作る必要がある。自己整理のためにブログを使うんだ!と思って、書いてきたんですが。
結局自分のことで精一杯になってしまった。
ブログを書くのに精一杯になってしまった。
この記事だってめちゃくちゃ遅れています。
けど避けては通れない。
相手を知るためには、相手の前に一人の人間として立つためには、自己の理解が欠かせない。
出来ているわけではない。
でも、自分のことばかり考える日々は、もう卒業です。
自分の頭の中にある情報だけで過ごすあの頃には、もう戻らない。
自分の思う正しさではなく、世界にとっての正しさを目指す
自分のやりたいことや、こうでありたいと思うことがあるのはいいにしても。
「正しいやり方」「結果の出るやり方」を採用し、身につけないと、結果は出ない。
自分のやりたいことが大事だから、それだけを見て盲目になると、正しい方法への道が遮断されて、成果に届かない。
そんなことが何度もあった。
正しいやり方、成果の出るやり方にコミットする。
それは(過去の)自分自身を否定する事になり、痛みが伴うのかもしれない。
けどそれが何だ?
間違ったことを正しいと思い続けることの方が辛いじゃないか。
自分が考えた方法でないことをやってしまったら、もう自分ではないと思っちゃう。
けど、それは子供の時代で終わりなんだ。
自分に整理が着くから、誰かの方法も受け入れられる。
そういう大人でありたいと思っている。
20代は何だったのか?
私のこの10年近くは何だったのだろうか?
- 大学の単位点数に悩み、
- 何をしたらいいかわからなくて悩み、
- 遊戯王に再びハマり、
- 努力をしない自分が嫌になり、
- 東日本大震災を機にテレビを見なくなり、
- そういや政治に関して知識を溜め込んだことがあった。
- youtubeの台頭。
- 仮面ライダーシリーズにハマってしまったり。
- バイトしたり労働したり。
- お金儲けを目指しているのに何もしなかった。
- ブログを始めた。(めっちゃ重要!)
- バイクに乗るようになった。
- 車の免許も取った。
流されてばかりじゃないか。
何も考えてないわけじゃないけど、結果に繋がるような考えをしていない。
例えるなら、やかんに40度くらいの熱を当てて、しかもそれを休みながら当てて、全然沸騰しません全然沸騰しませんと言っているようなものです。
そう言った煮え切らない20代には絶対にお別れをしなければいけません。
感傷に浸りかったけど、書いていたら気分が変わってきた。
一刻も早く、新しい私になろう。