慣性と思考
意識<行動のような記事を書きましたが、いざ行動にフォーカスしてみると、結構自分の体は自分の意思で動かしているのだなと感じます。
つまらない意思がつまらない行動を生む。
つまらない意図を持つと、慣性によってつまらない意図を持ち続けます。
1.ゲームをやり始めてしまうと、他の事が考えられなくなる。
2.本や映画を見て、ずっとその世界観に浸る。
3.音楽を聴く。すると音楽を聴き比べてしまう。
(youtubeにクラシックの名曲が上げられているから容易に聴き比べられるですよね。ケルテス最高。)
で、驚くべきことに1つの行動をやり始めると、他の行動をなかなかやらなくなります。
ゲームをしたいと思い続けていたのに音楽を聴き始めるとその気持ちが消える。
音楽を聴き続けていたかったのに、風呂に入るとそうでもない。
ブログを書きたいという意志が他の作業でかき消される。
意思なんて現象でしかない。
が、その現象に私たちは支配されてしまいます。
意思が変えられることは希望でもあります。
くだらない意思や行動をすることをやめて、やるべきことに意識を集中するのです。
かつて私は何をするにも音楽をかけてからでなければ手を付けようとはしませんでしたが、今はそれがありません。
デバイスに手を伸ばすことに時間を使わず、まずはやるべきことをやるのです。
するとどうでしょう。
短い時間で作業が終わります。
そりゃそうですよね。余計なことをやっていないのですから。
この方法論を使って、生活を立て直していきます。
思いはうつろやすいから、それをコントロールしようとする意志が必要なのです。