今すぐやる。後回しや先延ばしにしない。
こんな経験をしました。
電話がかかってきます。
頼んでいた用事はまだかとの電話です。
身内からの頼まれごとです。
(この時は母じゃなかったんですけど)
急ぎだから、すぐやって欲しいと言われていた用事です。
こっちも忘れていたわけではないんです。最初の5日くらいは。
約1週間経った昨日に言われて、私は動き始めました。
洗濯機に入れっぱなしの洗濯物をそのままにし、床に散らばる物を片付けず、流しに洗い物は置きっ放し。
あるべき自分の状態ではない状態で用事を進めます。
自分のリズムでない都合で動くことに少し苛立ちながらも、あれ?と考えが浮かびます。
これ、本当は私の望んでいた動きではなかったか?
と。
私はこういう風に動きたいと考えていた。
時間を無駄にせず、音楽に飲み込まれず、家事をテキパキこなし、ブログを書き上げ、仕事に勤しむ。
これが望んでいた姿なのでは?
自分を変えるなら環境を変えろ。
よく聞く話です。
私は私の意思で動いてきたことは何度もありますけど、それ以上に環境要因で動かされてきました。
労働契約をしている時は、時間が来たら起きて出勤する。
そこに私の意思や感情は反発できない。
労働契約をしている時は、夜寝る時刻になったらやりたいことがあっても寝る。
そこに私の意思は反映されない。
自分の部屋以外での休憩は、PCを持っていないことが多いので、紙にブログを書く。
PCがあればやってしまう音楽視聴や、動画視聴や、だらだらと調べ物をする選択肢がない。そこで私の行動は制限されている。
制限された環境で自分の動きが方向付けられた時、私は生産性の高い動きをしていたのです。
昨日自体、午前中に用事に出かけた際は空き時間を使ってブログを書いたり、手帳の記録を進めることができました。
何も出来なかった先週の3連休とは大違いです。
午後はずっと部屋にいて何もしていなかった。
自分の部屋で、自分のタイミングでやろうとすると、常に襲いかかって来る自分自身の欲求と戦い続けなければなりません。
自分の部屋は、ブログ執筆や、仕事に向いていない。
そうか。
そうなのか。
外に出た方がむしろ仕事は出来るのか。先日書いたように。
休日であれば、スマートフォンなど持たず、手帳だけ持って、都市の駅前などに出て、人間観察しながら書くべきネタを考えた方がいいのかもしれない。
幸せであると、努力をしなくなる - 生存疾走更新
昨日の午後は外から帰ってきてから、すぐに風呂に入ろうとしたけど全然入らないまままた音楽や動画を楽しんでいた。
やるべきことをやろうとする意思は確かにあったのに。
そのままただ時間が過ぎていた。
あの時、あの電話がかかって来た時、全てが吹き飛んだ。
自分のだらける気持ちも、やることが残っていることに対する引っかかりも。
そして用事をこなすことだけを考えていた。
やってしまえば終わると思って。
普段なら音楽かけながらとか、他の作業しながらとか、効率よくするために何をするかとか考えながらやるのに。
それすらない。
ただひたすら「成果」「結果」を目指して突き進む。
これは仕事であると思った。
そうして、今までの自分は何だったんだろうかと考えた。
自分が「やりたい」と思うことに対して、ただひたすらゴールを見て、そこに突進していたか?
脇目に見える誘惑に心を奪われてはなかったか?
〇〇日まで終わらせる予定だから、まだ時間はあるから今はやんなくていいって思って、快楽に浸ってなかったか?
特に最後の問い。時間がある時間があるとの考えが、人の実行をどんどん後回しにさせる。
やろうと思ったことは今すぐやらないと忘れてしまうではないですか!!
後の時間には後の時間でやるべきことが生まれているのですよ。
決めた。もう先延ばしはしない。
後でやる、なんて思うくらいなら諦める。
- ブログを書かなきゃいけないと思ったら書く。
- 風呂に入らなきゃいけないと思ったら入る。
- 洗濯物を干さなきゃいけないと思ったら干す。
- 部屋の改造をしなきゃいけないと思ったらすぐする。
- 仕事をしなきゃいけないと思ったらする。
〜〜してない。なんて悩む自分はもう卒業。
いつも実行している男になるか。
それとも諦めきっている男になるか。