人付き合い最低限モード───その2
さて、前回の続きです。
相手から詰られる私
失敗をした私は相手側から責められます。
勿論、間違った情報を与えた一人は別ですが。
何故やらなかったのか、と。
責められても今更遅いですよ。
そっちが早い事話や行動をやってないことが悪いんでしょう、と言いたいのですが。
それが全て正論であったとしても、私の失敗は私の努力で止められた事実は消えない。
私には損も得もない
あぁ、悪いことをしたな、と思いつつも。
私には何の損得もないんですよね。
自分の時間を使っているという点では、確実に損なのですが。
起こる結果は当事者のもので、私のものじゃない。
だから私が成功しようが失敗しようが、私には何の影響もないのです。
こちらが動くことで相手が利益を得る現実と、動かないことで不利益を被る現実
私の側がよく調べ、こういう所でつまずくだろうな、と見極めて様々なサポートをすれば、向こうは気持ちよく過ごすことができます。
反対に、細かいポイントがわかっていない、またはわかっていてもやらなければ、向こうは苦労して生活をするでしょう。問題が発生した時に、あれこれ悪戦苦闘したり、電話をかけて誰かに聞いたりして。
相手側が気持ちよく過ごせるかは、こちらの行動にかかっている。
相手方に言いたい
向こうはこっちが失敗したことを詰ってきましたけど。
あのね、これは言いたい。
失敗はしましたけど、あなたよりずっとうまくやってますよ。
あなたがやるよりずっと上手にやっていますよ。
この事実に気づいていますか?
あなたがやっていたら、もっと酷い事になっていましたよ。
そもそも忙しくて出来てないだろうけど。
こう言ったら向こうはどういうのかな。
だから何?って言うんだろうか。
やることを最低限にする
今回の件でわかった。
自分がやることを最低限レベルにすればいいのだと。
- 必要最低限のことをやり、それ以上のことは当人にやらせる。
- 出過ぎた真似はしない。
- 手短に素早く終わらせる。
- 余計なことを頼まれないように、顔を合わせる機会を減らす。
- 手渡しも時間を要するから、手紙を使う。
でも、全てを断ち切るわけではない。
- 年末年始の挨拶はする。
- お盆の挨拶もする。
- 顔を合わせたら挨拶はする。
- 頼まれごとも断るわけじゃない。自分に負担がかからないようにしつつ、成果も出すような動き方をする。
- 野菜や果物をもらうような付き合いはやめる。
- 冠婚葬祭ぐらいは出る。
などなど。
思えばあの一族とは関わり過ぎた。
お金持ちになる目標に向かっている私とは関係がないじゃないか。
付き合い方は、私が決める。
私の運命は私が決めます。
お金持ちに、なりますよ。