私は感情に支配されている
ひとたび感情が動き出すと、自分を止めることができない。
何かの本で読んだ記憶があります。
実際、私が思い通りに生きていないのも、感情の働きによるところがあるはずだ。
備忘録も兼ねて、今日の20:00から起こったことを書いてみます。
20:00まで
20:00までは完璧だったんです。
労働も、風呂も、食事も、掃除も、買い物も、全てがうまくいっていた。
風呂が終わったくらいのタイミングだろうか。
遊びたくなる。
いやいや、そういうわけにはいかない。
掃除をし、洗濯物の回収と干しを終わらせて、食器を洗う。
あとは、古いPCを売りに出す作業をする。
はずでした。
しかし目的不明の行動をとり、お菓子も食べ、Youtubeをずっとみる始末。
何があったのか?
髪を乾かす行為
髪を乾かす行為に一つのヒントがあるのかもしれない。
髪をタオルで巻き、ドライヤーを当てる行為が、私の中の何かの感情を引き起こした。
頭を温めるのがよくないのだろうか?
昨日に引き続き、生産的行為をできなくさせた。
昨日は寝たからまだマシだけど、今日は良くない。
このタイミングで、お金儲けに向かうではない別の感情が湧き起こる。
覚えておく。
感情には感情で対抗すべきか?
ある感情が湧き起こると、理性や合理性では太刀打ちできなくなる。
- お腹が減った。
- 寝たい。
- 逆に眠りたくない。
- 動画を見たい。
- 音楽を聴きたい。
- ボーッとしたい。
- ゲームをしたい。
- ただ寝転がりたい。
- 気になったことを検索したい。
などなど。
感情に流されれば、もう逃げられない。
ほとぼりが冷めるまで、情の勢いが続く。
このせいで一体今までどれだけの時間が無駄になってきたのだろう?
何年この状況が続いているのか?
しかし、いつまでも同じ失敗を繰り返しているわけではありません。
自然な感情の流れに逆らったのも、感情の力でした。
目標を描き、それを達成した姿をイメージする。
日々のこなすべき作業に情熱を持つ。
これを繰り返したおかげで、生活の生産性は上がりました。
今考えれば、これはこれで情熱や感情の力を使っていたんだなとわかります。
そう、自分がやる気に浸されていれば、辛いと思っていたことでもやれる。
逆に情熱の炎が消えれば、なんでもない簡単なことが苦痛になります。
(忘れてやらないということでもある。)
悪い感情に支配されるのなら、それを良い感情で書き換えてしまえばいいのか。
それとも、その悪い感情が起こらない仕組み・環境を作るべきなのか?
どっちも要るんだろうな。
それにしても、明確な目標を立てたのに、感情に邪魔され忘れてしまって、行動に繋がらず、時間を無駄にする日々がまだ続いている。
目標に向かう感情が足りない。
こっち方向の感情は足りていない。
髪を乾かしている間に忘れてしまっている。
忘れていないはずなのに、遊びたい側の感情が、思考力を低下させた。
間違いなく、次にするべき行動を忘れさせた。
こうなると計画も無意味だ。
この「本能の自分」の情動に、「考える私」の思考が勝っていない。
勝つだけの思考をしていない。
足りていないのは明らか。
本能側の自分がとてつもなく強いと分かった以上、思考もとてつもなく強くならなくてはいけない。
理性の力を借りつつ、感情の力を高めていきます。