自分の感情・考えがわかっているから、他者の気持ち・考えに寄り添える
考えていることがあります。
自分の気持ち・感情・考えで頭が一杯の時に、他者の気持ちを推し量ったり、誰かの都合を考えたり、目の前にいる人が何を望んでいるかわかるだろうか、と。
多分何もわからない。
相手が人でも、何か物体があるなーくらいにしか思わない。
考えるは自分のことだけ。
世界に存在する感情は自分一人のものだけ。
周りの人間は物体でしかない。
相手も生身の人間で、感情やプライドやしがらみを持っているんだろうなと頭でわかっていても、それについて考えることも、理解することもないでしょう。
こんな人間が話をしても、相手する側から見れば、つまらない。
自分の言いたいことばかり言って、こっちの気持ちなんて聞いてもくれない。
言う私の側も、「これって相手いらないよな」なんて思ってる。
自分の感情・考えしか必要でないのなら、他者はいらないですね。
こんなんでいいわけがないだろう。
会話をする際は、相手が望む事を言う必要がある。
質問を重ねた後、相手の本質を突くような言葉を投げかける必要がある。
(もちろん、いい意味で)
ああ、相手はこんな事を聞かれたいんだろうな、と感じて話す必要がある。
それやるには結構な知識が必要です。
自分が興味を持っている事を、相手も持っているとも限らないし。
自分にとってどうでもいいことが、相手にとって大事だったりする。
世界に数多くある情報の内、相手が見てるのはどういう情報なのか。
これをわかるようになるためには。
これをわかるようになるためには。
自分自身がわかっている必要があります。
どういうことか。
話してみようと思います。
主に語りたいのは2点。
1つ目は、自分自身の感情・考えをスッキリさせておいて、相手の感情を自分の中に取り込むためです。
自分自身についての考えがまとまっていて、私の結論は何だろうかなどと考える時間を、相手のために使う。
考え・感情は日記や手帳やブログに書いて吐き出し、まとめておきます。
基本誰かに語る時は、あらかじめ用意してある話をすればいい。
他者と会話している時は、他者の事を考えるようにすれば、相手にされるようになってくるのではないでしょうか?
2つ目は、自分自身の内面について考えること、自身の感情の動き・意識の注意の流れを理解する事で、他者の脳内の情報の流れも(ある程度)理解できるようになるからです。
自分の中に生じた考えが、何をきっかけにして生まれたのか。
例えば、定期預金の利益率を探しているとします。
それをやっている理由は何か。
元本割れせず、何もしなくて少なくていいから、お金が増える方法を使いたいからか。
株で失敗した人の話を聞いて、自分はああはなりたくないと思ったからか。
たまたまネットで発見して、自分もやってみようと思ったからか。
人から紹介されたからか。
人がそう考えるには、考えるに至った経緯があります。
相手の考えを聞いて、それに”自分はこう考える”と言うのはちょっと待った!
相手がそう思うに至った理由や経緯を聞くのです。(聞けたら)
少なくとも、相手が何を経験してきたのか、に自分の関心を向けるのです。
私はこう思う、ではないですよ。
そして、相手の気持ちに自分も納得する事。
これが大事なんじゃないだろうか?
他者の気持ち・事情を知るには、言語情報に頼らざるを得ません。
自分を相手に伝える時もそうだし、自分で自分を理解する時も、「言語化された情報」にならないと理解できないことは多いですね。
自分を理解する時も、他者を理解する時も、気持ち情報を言語化するプロセスが必要になります。
相手を理解するために、自分の理解を深めるのです。