自分が何者であるかは、相手が自分をどう思うかで決まるのかもしれない
自分一人でいるときは、自意識が自分自身を見ています。
観測する人間も観測される人間も一人。
意見がずれるなんて事はない。
これが二人になるとどうなるか。
相手が見る私と、私が思う私。(A、Bと呼びます)
私が見る相手と、相手が思う自分自身。(C、Dと呼びます)
一気に人の数が四人に増えます。
この場合、私は誰か?
AとBのどちらが正しい私なのだろうか?もしくはそれ以外に正しい私がいるのか?
Bが正しい、と言いたいところですが。
"相手にとっては"私はAなんです。
Aこそが正しい私。
A、Bがどっちが本当に正しいかが問題ではなく、何を「正しいと思っているか」が問題。
他者と話しているときは、どうしたって他者から見える自分を想像せざるを得ない。
相手の望む自分になっているかどうか。
その時、自分が何者であるかをきちんと伝える事が、出来ているか。
伝える事が出来ないと、自分が何者であるかは、自分ではなく相手によって決められてしまうかもしれません。