生存疾走更新

お金持ちになることを目標に 仕事に進行中。不定期更新中。

自分について誤ったイメージを持たれたら、反論しなければならない

ある時気付きました。

自分について、間違ったイメージをもたれたら、反論しなければならないと。

 

した方がいいとか、してもいいじゃなくて、しなければならないのです。

 

他者からあなたは勿体無い人生を送っていると言われてとします。

あなた(自分)にとっては違う。

 

私は充実している。

ここに、自分に対する自己のイメージと他者のイメージの違いが発生しています。

この時、相手が私に対して勝手なイメージを抱くことは自由でしょうか?

答えは自由です。

自由なんですが、「結果として」自由なのであって、何もかも自由ってわけじゃないんですね。

相手の持つこちらのイメージと、自身が己に持つイメージでは、原則自分のイメージが正しい。

だって、自分自身のことなんですから。

こちらが正しい考えを持っていて、相手が間違った考えを持っている。

相手が正しいことを知っておらず、こちらが知っている。

これをそのまま放置することは、世界の歪みを放置することにつながります。

直さなければいけない。

直そうとする努力をしなければいけない。

「違います。私は〜〜という人間です。」

言おう。

言い返されるかもしれない。

受け入れてもらえないかもしれない。

けれども言わなきゃいけない。

私はこう思っているということを世界に示さなければいけない。

自分に関することなんですから。

その自分の意見に対して、本人以外がそれは違うとか間違っているなどという権利は、基本、ない。

基本、ありません。

自分に関することなのだから、自分のイメージは自分で決めるんです。

そして、その自己イメージに現実の自分が近づくように努力するのです。

自分が決めるんだということを忘れちゃいけない。

そう考えておけば、自分に関することで相手に何を言われても、動じることはない。

相手側のいうことが意を得ているなら受け入れればいい。

それを決めるのも自分。

 

自分が自分をどう思うかと、現実の自分がどうであるかは、別の話です。

現実の自分は一人でも、それに対する見方は多種多様。

相手が自分をどう思うかは原則自由ですが、その考えより本人の考えが当然優先されます。

相手の「現実の自分」を見てどう思ったかと、自分が「現実の自分」をどう見ているか。

相手が正しいことはあります。

相手が知見を多く持っていることはあります。

自分が間違っていたと後から気づくこともあるかもしれません。

でも黙っていることはないです。

現実の自分は違うかもしれないけど、私は私に対して肯定的に見ていると言ってください。

口に出し、声を空気に震えさせるだけでも、自分の心に気づけると思います。

若く未熟なものであっても、誤ったイメージより、自分のイメージです。