自分を誰だと思っているのか?
社会の中で誰かと話す時、何らかのグループと接触する時。
自分が誰であるかを相手から見られます。
相手からだけではありません。
自分からしても、自分は何者なのか?相手にどういう人物として自分が認識されているか?相手が付き合うに足る自分でありうるか?などの疑問が湧きながら、自分が何者であるかに思いを馳せます。
一人でいる時には思わないことです。
自己というのは他者が存在するから存在しうるのだと気づきます。
(合ってるかな?)
さて、自分が何者であるか?
これにはっきりしたイメージを持っているでしょうか?
考えてもわからない。
考えたこともない。
自分の名前を言ったところで答えじゃない。
何をしているのか?何処に住んでいるのか?いつの生まれなのか?何を欲しているのか。どんな信念を持って生きているのか?これまでどのようにして生きてきたのか?
これくらいの質問に答えられなければ、自分の存在に気がつきません。
自分の存在に気がつかない......
自分自身が。
おかしいけどこの言葉の通りなのだ。
自分が何者であるかわかっていないというのは自分に気づいていないも同然な気がするのです。
ただ存在するだけで感じていない。
曖昧にしか思ってない。
意識だってはっきりしていない。
自分に対して理解していない人間が、他者に自己を見せれるわけない。
そうなると、自分というのは、考えるからこそきちんとした実体であるのだと気づきます。
(使い方あってるかな)
自分が何者であるかの問いはもっとするべきだし、されるべきだった。
あなたは何者ですか?