過去の経験・体験・記憶に頼って、原理原則をから考えることを忘れていないか?
労働で1つ失敗
一つ労働で失敗をしました。
とあるものの準備を完全に忘れてしまって、後時間から他の人に指摘をされることになりました。
なぜ忘れていたのか?
今日当日の前の日のやり方を覚えていたからです。
それまでは決められた時刻に担当者が足りないものを聞き集めて物を注文・集める役目を担っていました。
ところが本日はその人が来ませんでした。
それを責めることはできません。
忙しいですから。それはこっちもわかっていますから。
こっちから行けば良かったんですね。
行けば解決したのですから。
その行動を取らなかった。
子供の頃なら、どうしてやっちまったんだろ〜〜とウジウジ悩むかもしれませんが、その期間は幸いにも去りました。
過去の記憶を頼りにすること
何故必要な行動を取らなかったかと言えば、上にも書きましたが、過去の経験・記憶を見返して、人が来るまで待とうとしたからです。
これって、相手が動いてくれないと結果が出ませんよね。
自分のことなのに、自分の運命なのに、他者に委ねてしまっている。
これは、おかしい。
これはおかしい。
私の生き方に反している。
それなのに過去の成功体験に縋ってしまった。
何をやっているのか。
何故過去にうまくいったことが今もうまくいくと考えるのか?
どうして、「仕事を達成させる為に何をすればいいか」の原則に立戻らずに、特定の状況下でしか通用しない論理を持ち出したのか?
考えることをやめたかったのか。
動くことをしたくなかったからなのか。
そんな都合のために、現実認知を曲げるような思考をしたのか。
どれだけ頭は休みたがるんだろうか?
自分の先延ばしが誰かの負担になる
結局、後工程の方々に負担をかける羽目になりました。
本当に何をやっているのか。小さなミスではあるけど。
で、結果として、自分の仕事の一部を他者に押し付け、負担をかけたことになる。
どうしようもなく、負担をかけることはある。かけなきゃいけない時はある。
しかし、この程度のことで。
この程度のことで負担をかけるのは、色々間違っています。
- 自分の仕事は自分で最後までやり遂げるという私の価値観に反しているし。
- 細かいこと、余計なことで負担をかけられることを嫌がる私が、逆にかける側になってしまったことは、私が私に嫌がらせをしているような気分になるし。
- 仕事の負担を押し付けられることを嫌がる社会人を見て、ああなってはいけないのではないかと考えている私は何だったのかわからなくなるし。(ん?前の文章と矛盾してるかな?)
どうせ負担をかけるなら、精一杯頑張った結果そうなるようでありたい。