良い習慣も悪い習慣も継続される
分かっていながら、今日も何も進まなかった。
今日一体何したんでしょうか?
また少し料理が上達したことと掃除を進めたことくらいでしょうか?
多少動画を見進めたこと。
...何もない日常だと本当に書くことがなくなってきます。
しかしそれでも手を動かして言葉を出していくことが私に必要なことであり、仕事であります。
最近、というかここ数年素人なりにメディアについて考えさせられます。
TVというメディアが影響力をどんどん無くしていって大衆の共通体験のようなものがなくなっていく様子を少しずつ感じています。
共通言語、共通体験、共通経験、共通幻想。
そういったものがどんどんなくなっていきます。
それがいいとか悪いとかは言うつもりがありません。
それが事実なのですから。
TVで流されているからみんなが知っている、わけじゃないことは旧世紀の時代からそうでした。
TVで放送されていることがさも世間の常識のように話されることが迷惑だった経験はかなりの人が持っているでしょう。
もともとTVっ子だったんですけどね。
2012年からすっかり見なくなりました。
テレビは見なくなりました。面白くないのも理由ですが、興味がなくなったんです。
— 自由謳歌中 (@Y_synchro) 2012, 4月 30
東日本大震災時の報道の弱さみたいなものが、TV視聴をやめた大きな原因になっています。
2006年くらいからYouTubeが出てきて、私自身もPCとネットを得たことでPC画面にのめり込んでいく。
その頃はTVを視聴しながらネットも同時にやっている感じでした。
ハードディスクに録画もし、ネットの内容も見る。
DVDの購入も旺盛でした。
それまでTVやレンタルビデオ店でしか出会えなかったコンテンツにPCで消費出来るようになるのなら、旧時代のものを使おうとはなかなか思いません。
ニュース等をネットで見てからTVで見るようになって来ても、TVを見る価値が下がってきます。
TVってなんだったんだろうと考えています。
なんだかんだでまだ「興味」はあるのです。
新聞のラテ欄をチェックする習慣は残っています。
TVの状況は気になりますが、内容に興味をそそられることはない状態です。
大衆に向けたものがどうなっていくかは気になるところです。
情報が広がったことで得をする人も損をする人もいて、その中で私はどうなっていくんだろうか。
またタイトルと違う内容になってしまいました。
創作とかブログとかは書き手の自己満足に過ぎないとはよく聞きます。
このブログも例外ではありません。
ただ吐き出さないことには次に進めないこともありまして、そのような時は紙でもWEBでも書いて気持ちや考えを整理する必要があるのです。
まだまだ未熟な内容ですが、私にとっても、読者の方にとってもより楽しめるブログにしていきます。