あの人の言うことを聞かなきゃいけないvs自分の考えを整理したい
生きていると、どうしたって他者の言うことを聞かなきゃいけなくなる時があります。
それをすんなり受け入れられないことは多い。
正しいとわかっていても受容できない。
自分の中に準備ができていないからです。
その人の言う通りにやる自分を想定できない。
言っていることがわからなかったり。
体が緊張してうまく動かなかったり。
頭が目の前にいる人のことを受け入れようとしても、体がついていかない。
そして怒られる。
なんで言った通りにできないんだ!
難しく考えるな!
ただやればいいんだ。
そう言われる。
こっちだってなんで出来ないか考えますよ。
でも体がうまく動かないんですもの。
言うことを聞かなきゃいけないのにどうしても出来ない、のか。
それとも。
そもそも言っていることを聞きたくないのか。
人間、自分の中に、”異物”を入れたくありません。
目の前にいる人が言っていることが、たとえ正しくても自分にとって異物であるなら、それを受け入れることは自分を壊すことになります。
正しいか間違っているかではなく、本人が正しいと思っているかが重要です。
どうしても正しいと思えない、受け入れられないのなら、その受け入れを拒否する。
相手の言っていることをちゃんと整理して消化してから実行したいと思っちゃうのです。
しかしそれを行う時間はない。
で、”自分なり”の方法でやってしまうのです。
そしてうまくいかず怒られると。
なんで素直に出来る子がいるんだろう?
ずっとそう思ってました。
大人になった今ではかなりの想像ができます。
その子達は、周りの大人が言っていたことを素直に聞き入れていたのです。
(おそらく)心を空っぽにして。
自分の気持ちなるものを手放して、考えを手放して、相手の言う通りにただやっていたからこそ、上達していったのです。
正しいことを言う大人達の言う通りやるから、言った大人の理論通りの結末が出て来る。
習い事などで顕著ですよね。
自分がこうしたい!ってものがあると、それに拘って、上の大人の言うことが素直に自分に入ってこないんですよね。
やりたい気持ちが邪魔になってしまう。
相手の言うことを受け入れる、心の技術があるかないかの差だったんだと、今になっては思います。
私は当然自分というフィルターを通じて、納得できないものは受け入れないタイプの子供でした。
そしてそんな大人です。
もし、数学や英語を習う時、先生の言った通りに出来ていたら。
もし、長距離走を優れたコーチの言う通りにやっていたら。
もし、あの問題集をやりきれていたら。
それらに対して、情報をまとめ、整理し、自分に消化しやすい形に変換して吸収していたら。
私は凄い人間になっていたんだろうと思います。
が、それが難しかった理由も分かっています。
”自分に”合った形に変換しなければいけないのです。
それをやるには、”自分に対する理解”が必要です。
何が得意で何が不得意なのか。
どの感情のスイッチを押せば私は動くのか。
どの時間帯が一番気持ちいいのか、など。
これらの分析が出来ていないと、変換は出来ません。
で、自分もわからず、相手を受け入れることも出来ず、中途半端な状態で成長を続けていくのです。
よくよく考えてみれば私のやろうとしたことはかなりハードルが高い。
子供には難しいことだ。
だから、周囲の大人が、「私に合った方法」を伝授してくれて、私がすんなり受け入れやすい教え方をしてくれて、成長するように後押ししてくれれば良かった。
そんな超人いませんけど。なかなか。
どちらかしかない。
心を空にして、相手を受け入れるか。
自分に合うように徹底的に変換して、吸収するか。
無論前者の方が、エネルギー効率がいいのは間違いないんですけどね。
前者の方法を取れなかったら、後者の方法を取らざるを得ないんです。
どれだけ正しいことであっても、それが相手に受け入れられないものだったら、それはもう正しくないんです。
無意味になるんです。
正しいことなのに。
だから目の前の相手に合わせた、伝え方をしなくちゃならない。
全国の指導者の方、もしこのブログをご覧になっていたら、相手に合わせることを少しでも考えてください。
真実正しいことが、ある人にとって正しくない状態になっている矛盾を解消できるのは、能力がある側です。
私はもう大人になったから受け入れていくし、自分に対する理解も深めて消化吸収していきます。