怒りは未熟なコミュニケーションだから
怒る事はエネルギーを要します。
なぜ怒ったりするのか?
わけが分かって怒っている時と、分からないがために怒っている時があります。
年長者が諭す場合と、ただ感情の行き場を探している時ですね。
前者の場合は、怒られる方も安心だと思うのです。
後者の場合は、どちらも大変。
相手の聞いていることにどう答えればいいのか。
頓珍漢な答えをして、余計怒らせてはしまわないか。
怒る側も怒りをどこに終着させるかハラハラしてはいないでしょうか。
理解が足りないことで起こる怒りやコミュニケーションは理解によっておさめるべきでしょう。
理解していないからって、怒るのはマイナスです。
何をしようか考えている時間は無駄なのかもしれない
本を読んだり手帳を読んだりして、何をするのか考えます。
白紙の物を見ているわけじゃないですよ。
アイデアややるべき事・やりたい事が書いているのです。
その中から何をしようか考える。
きちんと考えて行動する事が大事だと思っている。
取捨選択して行動する事が大事だと思っている。
そうして時間はどんどん過ぎていきます。
大きな時間が経過してやっと行動し始める。
そして大したことはしない。
考えに1時間。実行5分なんてことたくさんあるんです。
こんなことを繰り返しています。
こんな時間の使い方をするなら、手帳を開いた時に目の前に飛び込んできたものをさっさとやってしまう方がよっぽどいいんですね。
何もかも茶番に見えるんだけどな...
仕事も、生活も、遊びも。
全てが只の現象に見える。
意味づけや価値づけが無に見える。
全ては単なる現象じゃないか。
仕事が何ですか。
作業が何ですか。
世界が何か変わるんですか。
何言ってんだろうオレ......。
今日はこんな気分か。
情報発信力を見習いたいけれど
よく喋る人、というのは私の目指す人間です。
近くにそういう人がいると、より思います。
人に話しかける、というのは、話すだけの内容がある、自分には言葉を発する価値があると思っていることの現れです。
私にそんなマインドがあるのか。
そんな内容が自分にあるのか。
”事務”ってのは相手にわかるように伝えること
ただ伝えるとか、ただ仕事をやるってわけじゃないんですね。
「わかるように」という事が肝心なのです。
わかるように。
人それぞれ持っている知識は違います。
分かっている相手だと記号のような伝聞で済みますが、そうでない場合は根本から説明する必要があります。
そのための準備ができているか.....。
やる気がある人が居ると助かる。それが普通なんだけど
仕事において、自分の身近にやる気のある人や、エネルギーの高い人が居るのは、とてもありがたいことです。
その人が近くに居てくれるだけで、こちらのエネルギーも高くなる。
この仕事に意味があるのか、こんな事して何になるのかなどの不毛な疑問を抱かなくてすみます。
目の前にある仕事が自分の誰かのためと思える。
周りに居る人が気の抜けた人だと、自分自身の存在も無意味に感じる事があります。
周りの環境に左右されている場合ではないですね。
私自身がエネルギーに満ちた人間にならないと。
生産性が高いとは、段取りが良くなることだ
生産性が高いとは、短い時間で仕事を終わらせることです。
そのために段取りが必要になる。
自分が何をするかがわかっている事が生産性向上につながる。
と書いておきながら、予定を組んで行動する事が私には不向きなんだな。