余計なことを考えない事の大切さ
考えというのは、自分の助けにもなれば邪魔にもなります。
必要な事を考えれば必要な事をやり、不必要な事を考えれば、どうでもいい事をやる、即ち目標行動の邪魔になります。
行動を起こした後で、あぁ考えるんじゃなかったなと思うのです。
思考はプラスにもマイナスにもなる。
余計なことを感がえないのは大切なのです。
部屋が汚い......。くつろいで癒されるはずの空間が荒れていることは大問題
私の身の周り。
物だらけ。
目線高さも。
床上も。
上空も。
どうしてこうなった。
部屋に帰ってくる度に気分が落ち込む。
仕事に取り掛からず、ゲームに勤しむ。
ゲームやっている間は布団の上さえ空間があればいいだけですからね。
また行って帰ってでしんどくなるんだ。
寝る前にやるか、起きてからやるか
自由です。それぞれ個人の。
悩むことはありますよ。
作業をしている途中で眠るべき時間が来て、眠らなければ明日に響くから寝るとか、今やらなければ出来ないからやってしまうとか。
私は寝まーす。
頭悪くある、頭良く努めないことが大事
頭悪くていいって話じゃないんです。
頭を良く見せようとか、頭良くあろうとすることにとらわれてはいけないという話です。
頭良くあろうとすると、単純なこと、簡単なことが質問できなくなります。
結果として情報を得ることもできなくなる。
私は何も知らない。
無知だから教えてください、という姿勢でいることも、必要なのです。
自分の頭を整理するためのブログ
久しぶりに、簡単に書きます。
最近気づき考えていること。それは
環境>予定
の不等式です。
予定が、全然実行出来ません。
家に居る時出来ません。
風呂に入るべき時間に入らず、着替えも何もしないままごろごろだらだら動画を見続けて時間はどんどん過ぎていく。
動き出せば何とかなるのですが、その前に眼前に遊び道具があるとそいつに飛びついてしまう。
これは予定を実行することよりも、その場の環境に支配されていることを意味します。
やらなきゃならないとわかっているのにやらない、出来ない、ではなく。
もう "分かってない" 状態になっている。
大事な事が頭から抜け落ちています。
時間なんて関係ない。
頭にないこと、眼前にないことはやらない。
そんな状況に陥るのです。
こいつを防ぐ為にどうするか、はまた次の時に。
過去思考と未来志向
過去について
過去についてはよく考えます。
- なぜ自分は時間を無駄にしたのか?
- 昔考えていたことを今考えるならどんな結論を出すのか?
- 過去の自分に対して、今の自分は何というのか?
- 解決できなかった過去の問題にどう決着をつけるのか?
などなど、過去について考えたい問題はたくさんあります。
清算できるまで考えることをやめることはありません。
ですが、過去ばかり考えても先がないですね。
未来について
私は未来のことを考えているでしょうか?
未来のことより、過去の方が考えやすいですね。
当たり前か。
......。
......。
......。
未来について考える時も過去について考える時も、頭の使い方は同じですね。
また脳が興奮して眠れないのか
風呂に入ってストレッチをする。
布団に入る。
眠れない。
何故だ!?
ゲームして眠れないわけではないんですよ。
ただただ眠れない。
こういう時は前日前々日あたりに問題があったりします。
あんまり問題はないな......。
なんでだよ!
人間は魅力を放ち続けなければならない
生きている限り、他者との接触はあります。
その時点で、あなたの人生はあなただけのものではありません。
あなたからすれば、単なる接触、単なる仕事でしかないことであっても、相手側からすれば世界の豊かさを見れる重大側面かもしれないのです。
あなた自体が世界の表現になるのです。
自分はこうである、こうでありたい、私はただの作業員だから、とあなたが思っても、周りがそうは見てくれないこともあります。
相手にとっての自分。
相手の目を通した自分。
それは往往にしてあなたが思っている自分ではない。
相手の目から見たあなた自身のイメージを守らなければいけない時がある。
相手があなたを魅力的な人間だと思っていれば、魅力的な人物でいるべきであり、相手があなたを取るに足らない人間だと思っていても、魅力を放たなければいけないのでしょう。
自分がどう思うかではない。
相手がどう思うかなのです。
苦労する事が誰かの役に立つ
困難にぶつかった時。
困難を克服した時。
この経験を何かに役立てたいと考えます。
何をどうすればいいのか。
分かったことを誰か他の困っている人のために役立てるべきだと思うのです。