tweetしまくっていい。ブログ書きまくっていい。
今日は前半はそこそこ集中して作業できたけど後半がいけませんでした。
予定を2つしかこなせてない。
"瞬間"の欲望に流されず、目的を意識する生活をしていきます。
反省はさておき、
タイトルにある通り、ブログを書きまくっていいし、twitterに沢山tweetしていい意見を書きます。
自分が思っていることはどんどん吐き出せばいいと思うんですよ。
会話で解消できるならいいです。対話の中で言いたいことが言えて頭も整理されます。
自分で言語にして発声することによって、自分の言葉を外部から受け取ることができます。
この"外部から"というのが重要です。
頭の中だけで考えているのと、それが外部から聞こえるのでは体の反応が違います。
外の空気のフィルターがかかることによって、自分の言ったことがまともな事なのかおかしい事なのかの判断がつきやすくなります。
考えていただけではうまくいきそうだと思った事が、そうではなかった。
あるいはダメだと考えていた事が、意外とイケることに気付いた。
そんな経験はどこかであるはずです。
「やりとり」の中で思考はある程度研ぎ澄まされます。
自分の意見を出すことで、確認することができる。
だから、思ったことはどんどんtweetしていいのです。
公共空間に迷惑かけないように。
どうせその思いは消えてしまいます。
ならtweetしましょう。
たとえ誰にも見られていなくても、書き出した分だけ本人には意味のあることです。
こんな思い、こんな考え書き込んじゃいけないんじゃないだろうか。そう思うことはないでしょうか。
そんなことはありません。
その「枷」がある限り自然な自分の考えを見ることが出来ません。
頭の中に抱えただけでは思考は形を成しません。
なんらかの形で言語化しましょう。
それも出来るだけ他者に伝わるように。
たとえ読まれなくても。
我が身一人の中に押さえつけていいものもあります。
ですが、意見や考えはそれを認識する人がいなければ、自己は薄い存在と見なされます。
認識されることは大事です。
「他者が自分のことを知っている」状態は鬱陶しい事もありますが、大きな力になることもあります。
私もこの時代に生まれてしまって、存在してしまっている以上、自己の存在を表明していかなればならないと思っています。
知られていない認識されていないのは、存在しないのと同じなのではないか、との疑問は常に渦巻いているのです。
世界中に、とは言わないまでも身近なコミュニティでは存在感のある人でありたいです。
後の時間になって、書いてしまったことを後悔することや、恥ずかしくなることはあるでしょう。
ですが、その文章はその時にしか書けないのです。
過ぎてしまった現在となっては書けないもの。それもまた成長の証ではないでしょうか。
成長を変化と言い換えてもいいです。
変化しないのはつまらない。変化の道筋こそ面白い。
私も変化を楽しんでいきます。