自らの価値を肯定してもらえるということー岡田尊司『愛着障害ー子ども時代を引きずる人々』(1)
他者とうまくつながれないのは何故だろうか?
コミュニケーションに関することはこのブログでも何回か書いてきました。大変優秀な本の感想記事です。長くなったので2回に分けて更新します。
対人関係について愛着の問題を出しながら本は進み始めます。愛着という言葉に頼っても頼らなくても、人間関係や絆は気になって仕方ないものです。著者はぐさぐさと刺さる言葉を投げかけてきます。
過去の記事にならって、引用とコメントを述べていきます。
なぜ自分をさらけ出すことに臆病になってしまうのか。
対人関係が表面的
気軽に甘えたり、すぐ相手と親しくなれる人もいれば、何年顔を合わせていても、いっこうに距離が縮まらない人もいる。
私のことだ...。相手と全く心が通じ合えていないとばかり感じて生きてきました。
安定した愛着スタイル ー 相手が助けになってくれると信じきっているので、実際にすぐに助けや慰めを求め、それを得ることができる。
不安定な愛着スタイル ー 拒絶されるのではないかと不安になって、助けを求めることをためらったり、最初から助けを求めようとはしなかったりする。あるいは、助けを求めても、求め方がぎこちないため、相手を苛立たせてしまったり、肝心なことを切り出せなかったりして、結局、効果的に相手から助力を得ることができにくい。
この不安定の方が私です。客観的に見ると、損している。
安定した愛着によって、安心感、安全感が守られている人は、仕事でも対人関係でも積極的に取り組むことができる。
揺るぎない事実です。あぁパートナーがいる人がうらやましい。
否定的な扱いを受けて育った人は、どんなに優れたものを持っていても、自己否定の気持ちを抱えやすくなる。
どれだけ才能のある人も、それを育て伸ばしてくれる環境じゃないと活躍できない。
さかなクンさんのエピソードを思い出しました。
「さかなクン」を育てた好奇心に応じて伸ばす育児法 | JIJICO [ジジコ] - 毎朝3分の知恵チャージ
安定型の愛着スタイルの人が怒りを表す場合、それは建設的な目的に向けられている。相手を全否定するのではなく、問題解決のために焦点を絞ったものとして発せられる。敵意や憎しみといた個人に向けられた攻撃ではなく、問題そのものに向けられた怒りである。こうした怒りは、人間関係を壊すよりも、むしろ強化したり、問題解決を促すのに役立つ。
これ、理想だと思っていましたけど、いつかやらなければならないことです。
ありのままの相手ではなく、自分の記憶の中の存在を重ねてしまい、そこからくる思い込みによって相手を即断してしまうのである。
ありのままの相手を見ること。できてるだろうか...
全体より部分にとらわれやすい。愛着障害の人は、全体的な関係や視点ではなく、部分に分裂した関係や視点に陥りやすい。それは、快不快の瞬間の関係に生きているということもできる。
快不快の瞬間に生きているって、正に今年の私。
最も重要なのは、相手に「心」や「人格」という言葉で表現されるような統合的な存在を感じられるようになるということである。
ここめちゃくちゃ大事ですね!自分のことしか考えられないと、相手の心や考えに思いを巡らせることが出来ません。私が正にそうでした。今もそうかもしれません。
「相手にも心がある」ことは頭で理解していたのではダメです。何度も何度も他者とぶつかって漸くほんの少しだけ相手の気持ちが伝わったかな、相手の気持ちによって自分の脳内回路が書き換えられたかな、という経験を経ないと心を感じられない。
私はこれまで他者との接触を避けまくって来ました。相手に迷惑かけまいとしてきた行為が私の共感性を太くしてこなかったのです。いったいどうすべきだったのか。
過去は過ぎ去ったことなのでどうにも出来ません。出来るのは今これから共感性を育てていくことと、このようにブログを書いて一人でも多くの人に他者の心の存在を伝えていくことです。
それで本当にコミュニケーションを伝えられるのだろうか?
わからない。わからないまま踠いていきます。
それでは、次の記事も読んでください。