思いついた整理術
上の本を読み返して閃いたので、書き綴ります。
ポケットひとつ原則ができていなかった。
もう6年も前に超整理法読んでいたのに、何ひとつできていなかった事を悔やみます。
書類を置くところが一箇所じゃなかった。
レシートを置く場所と取扱説明書を置く場所を分け、保険関係と年金関係の物を分け、確定申告書類は別の場所に置いていました。
これじゃあ片付くわけがない。
把握すべき項目が増えるからです。
5種類の分類があれば、使う頭のエネルギーが5倍に増えてしまいます。
これぞ無駄の1歩手前。
もう分けません。
全てひとつの棚に並べます。
それも縦置きではなく横置きの棚に。
書類は手からアクセスしやすい場所にある事が大事です。
床置きはダメ。
上空にあるのも駄目。
立ったり座ったりする状態の手の位置に近い距離、だいたい130cm前後くらいの高さである事必須。
この位置に壁に引っ付けてでも横置きします。
横に広いスペースがある事が欲しい。
横の移動によって整理させます。
縦だと目線を移動させる無駄な作業が発生します。
(目線にないものって存在しないに似ている)
私は窓を塞いででも設置します。
皆さんはどう整理しているでしょうか。
一覧性が大事!
片付けをした思ったのです。
「全てのものがテーブル上にあったら物探しする必要はないのではないか」と。
箱の中にしまったり。
袋に入れたり。
タンスに入れたり。
別室に置いたり。
積み重ねたり。
そうする事で、「見えなく」なります。
見えないから探さなきゃいけなくなる。
見えていても、分かっていても、積み重なった層の下にあったら、上層の物を退けて取り出すめんどくささが発生します。
ならもう積み重ねずに全部広げたらいいのでは?
テーブルの上に広げて見やすくすれば、把握もしやすい、取り出しもしやすい。
これ大事ですね。
私たちは家で作業する時床に置いて作業するより机の上で作業する事が多いです。
その机に十分なスペースが無ければ、
作業効率は愕然と下がるのではないでしょうか?
床に積み重ねるよりも机にひとつひとつ並べた方が絶対に効率がいいですよね。
処理すべき案件が把握でき、必要不必要がすぐに判断できる。
(本当に、積み重ねるって悪だ。)
なので
なので、多少部屋が狭くなろうとも、テーブルをひとつ足しました。
まっさらなスペースの上にA4の紙を1枚、1枚と置いて写真を撮って捨てる。
これは 、 気持ちいい!!
なんて気持ちいのでしょう。把握できるって。
写真のおかげで紙はどんどん減っていく。
次も片付けの記事を書きます。
想定していた条件より現実の条件が多いこと
なんていうのは多々あります。
朝予定を立てます。
晩に書類の整理をすると決めましょう。
で、実際晩になってするかというと、しません。
なぜなら、
お腹が減ってご飯を食べた。
やりたいカードゲームの組み合わせを思いついて熱中してしまった。
パソコンの音楽ソフトがごちゃごちゃで整理したくなった。
電話がかかってきて応対しなければならなくなった。
あるはずのものがなく、探すのに時間を使った。
などなど。
"想定していた時"には思いつかなかった事が"当時時間"で発生し、予定の達成が不可能になる。
よくあることと言えば、よくある事です。
以前のブログでも書いたように、現実の物事を見ることで、やる事が何なのか分かります。
「見える」「体験する」ことで漸く「分かる」。
実行時刻のことは実行時刻にならないとわからない事が、多々ある。
脳一つで必要要素を把握できない。
出来ないから、予定を立てることに無意味感を感じています。
立て方が間違っているのかもしれませんが。
とにかく、現実の条件が強い、とは今は言いたいのです。
自由について
上記2つの記事を書いたことで、「自分が自由に時間を使えること」の是非を考えたい気持ちがふつふつと湧いてきました。
好き勝手に書いていきます。
一つの用事をしている時に他の用事を思い出し、すぐにそれができないことにストレスを感じること。
時間編成の自由がある分、”自分の用事”は実行もキャンセルも簡単に出来ること。その場の気持ちで好きに決めれること。
よって、やりたくないことはいくらでも後回しに出来ること。
さらに、予定をぎっしり詰めるのは嫌なこと。
自分で何をするか考えていなかったのに、何すればいいかわかんなくなってゲームを始めてしまうこと。
挙句に派遣労働まで再開してしまうこと。
うん。どう考えても自由を持て余している。
楽しめばいいのにね。
自分で自分を管理する感覚を。
やることというのは、その実物を見て、初めて認識する。ーその2
昨日と違うことを言うようですが。
実物を見なくても、用事は頭の中で整理できます。
次の予定は何か。
残っている仕事は何か。
頭や紙に書いたりして、把握や整理はできます。
ただ、
整理した時のことを実際にやる時間になって、予定通りに動けるかというと、そうではない。
理由は、現実の条件が、予想していた条件よりも多いことにあります。
小さい例としては、
電車に乗ろうとしたが、その分の運賃が足りない。
外に出ようにも、履く靴がない。
外に出ようにも、着ていく服がない。
(卑近な例ばかりですね。自分の想像力が悲しい。)
とまあ、こんな感じで、「そんなことまで考えていなかった」案件が現実現場で出てきて、タスクの解消が不可能になること。
予定の立て方が甘かった、と言われればそれまでですが、そもそも本当に大事なことの条件を全て把握して対処できるのか?という疑問が生まれるのです。
仕事に行く時間。
睡眠時間。
準備時間。
コミュニケーションのために相手方のことを考える時間。
自分自身の会計。
選択の用事。
食事の用事。
健康問題。
......その他たくさん。
これら全てのことを把握して、その締め切りとこなす条件も把握して、生きていくなんて出来るのでしょうか?
少なくとも今の私には無理です。
今こうしてブログを書いています。
今は熱中して書いています。
普段のサボり具合がウソのように、キーボードを動かす指は速いです。
過去の履歴を見ればわかるように、かなりサボっています。
それが、いざ書き出すと書ける。
健康問題は大きなテーマです。
肩・腰・腕の右半身が非常に硬い。
ちょっとさわるだけで気持ちよくなるくらい悪い状態です。
コリは辛いけれど、伸ばすととても気持ちいいから、この気持ち良さがずっと続くならあってもいいかなと思ってしまう。
— 生存疾走 (@Y_synchro) 2017年2月5日
毎日のストレッチが欠かせません。
これをやるから体が楽でいられる。
しかし、ブログを書いている時には健康問題のことを忘れ。
ストレッチしている間は他の重要ごとも含む用事のことは忘れます。
何を当たり前のことを、と思ったかもしれません。
ですがここに大事なことが隠されています。
それは私は「2つ以上のことは同時にできない」ということ。
ある用事をやっている時に他の用事を思いついても、それはできないのです。
で、あれば、その間は思い出さないほうがいい。
ストレスがかかるから。
あれこれ予定立てるよりも、その場その場で対応していったほうがいいのではないかと考えもする。
しかし、予定を立てる時間を確保することをしなかったために、大問題が起こる未来もあります。
(今は確定申告のシーズン。放っておくと大問題になります。)
”今”だけを考えるのではなく、未来のことを考えることが出来るのは人間だけに与えられた能力だとどこかで聞きました。
報酬の遅延についても最近ブログを読みました。
行き当たりばったりもどこかで問題が起こるのです。
これは、私が時間を自由に使えるために起こっていることなのではないだろうか?
自由は私には重すぎるのか。大きすぎるのか。
どこかで続きを書きます。
やることというのは、その実物を見て、初めて認識する。
モノを見ると思い出す。
— 生存疾走 (@Y_synchro) 2017年2月18日
自分がやるべきことを。
やることは、沢山あります。
片付けはしなければいけないし、
電話かけるところにはかけなきゃいけないし、
出すべきハガキは出さなきゃいけない。
ですが、
そんなもの、その実物を見ないと思い浮かばないのです。
葉書を見て、その葉書案件を思い出し、
散らかった部屋を見て、その散らかりを解消しようとし、
書類の山を見て、整理を思い出す。
”実体”がなければ、認識できないのです。
少しウソです。
何にもしていなくても、用事を思い出すことはあります。
けれど、その思い出した時は、大抵実行できない時なのです。
これは、つらい。
だってやろうやろうとやる気になっている時に出来ないのですよ!
それなのにいざ実行できる時になったら、思い出さない、やろうとしない。
大いにエネルギーの無駄です。
頭の使い方は考えなければいけません。
効率よく動ける時間は多くありません。
”できる”時に”思い出さ”ないと思考と時間の無駄が生まれます。
実物を見れる時は、タスクを解消できる時にするのが、重要になってくるんじゃないだろうか?
つまらない記事を書き続けているけど、続けることが大事。
我ながら中身のない文章だな〜と思いつつ、(基本)毎日更新し続けます。
続けていけば、何か見えてくるはず。
体調悪いなー。
動かない楽さよりも動く楽しさ
家にずっといると動くことが億劫になります。
ずっと部屋の布団の中にいてiPadを触っていたいと感じてしまうのです。
対して、
外に出歩くと、体を動かしていたいと感じます。
腰のストレッチをしたことで体が少し動きやすくなっています。
それだけで体をもっともっと動かしたいと感じているのです。
これは、楽しい。
動かない楽さを求めるよりも、動く楽しさを求めます。
考えりゃ、動くことが楽しくない家に住んでいるのが問題ですね。
優先度の低いことはどんどん後回しにする
やるべきことややりたいことがたくさんあって、
そいつらを並べてあれからやっていこうこいつからやっていこうと考えていましたが。
もう把握することも面倒なのでは? と考え始めています。
だって取り掛かることができないときに「思い出す」んですよ。
できないときにやりたくなるなんて苦痛なのです。
自分がすることはこれだけある、と常に考え続けるよりも。
数点のことだけを考える、ようにしていく。
と言いながら未来で発言撤回しているのかも。
能力・実力ではなく、ポスト・ポジション。
誰にどの仕事を割り振るか、となったときに、能力や実力に応じて配るより、ただそのポジションにいるから、ってだけで割り振られることが多い気がします。
誰も能力なんて気にしてないのかな。
こうして、効率が悪く、特定の個人に仕事が集中する組織になるのです。