会計作業に革命を!
会計の作業に馬鹿みたいに時間がかかると再自覚しました。
もともとわかってはいたのですが、より生産性高く時間を無駄にしないように意識して行動していると、とんでもなく時間を食われていることに気づきます。
こいつはやり方を変えなきゃならない。
- ネット通販の記録を付けて
- 水道光熱費を調べ
- 銀行の残高をチェックし
- クレジットカードの明細をチェックし
- マイナスのお金がどれくらいか調べ
- 無駄使いしたお金がどれくらいか調べ
- 1年先までの支払いがどうなっているかを把握する
長い!!
時間かかる。
2時間くらいザラにかかったりする。
こんなの毎日やっていられるわけがない。
毎日は、その日使った金額の記録だけをやりたい。
ではいつ詳細の管理をするのか?
土日のどこかということになります。
やるのかな?私。
認識と現実のズレ
失敗した
失敗した。
またしても失敗した。
会計で。
自分の記入していた値が、現実の値と違っていた。
おかげで色々と辻褄が合わない。
現実と、自分の認識にズレがあった。
防げなかったミスではない。
確認する手段も、その機会も何度もあった。
それを怠ったが故の失敗である。
繰り返す間違い
↑
自分でこんな記事を書いておきながら、気づけていない。できていない。
起業家は正確に事実を見なければいけないのです。
- あれは大丈夫なはずだ、とか。
- あの人に頼れば何とかなる、とか。
- 後でやればいいや、とか。
現実を認識しなければいけない時に、自分の願望で目を塞いで認識を曲げるのは、そもそも間違いであり、私の目標にも反しています。
甘かった。ずっと甘い。
小さなミスで済ませる
とはいえ、このような小さなミスは多く経験しておいて、本当に取り返しのつかない間違いを犯さない為の糧にすべきだとも思っています。
謝って済むことや、取り返しのつくことなら、対処ができます。
よし、悩むのは終わり。
私はポジティブに考えます。
過去の経験・体験・記憶に頼って、原理原則をから考えることを忘れていないか?
労働で1つ失敗
一つ労働で失敗をしました。
とあるものの準備を完全に忘れてしまって、後時間から他の人に指摘をされることになりました。
なぜ忘れていたのか?
今日当日の前の日のやり方を覚えていたからです。
それまでは決められた時刻に担当者が足りないものを聞き集めて物を注文・集める役目を担っていました。
ところが本日はその人が来ませんでした。
それを責めることはできません。
忙しいですから。それはこっちもわかっていますから。
こっちから行けば良かったんですね。
行けば解決したのですから。
その行動を取らなかった。
子供の頃なら、どうしてやっちまったんだろ〜〜とウジウジ悩むかもしれませんが、その期間は幸いにも去りました。
過去の記憶を頼りにすること
何故必要な行動を取らなかったかと言えば、上にも書きましたが、過去の経験・記憶を見返して、人が来るまで待とうとしたからです。
これって、相手が動いてくれないと結果が出ませんよね。
自分のことなのに、自分の運命なのに、他者に委ねてしまっている。
これは、おかしい。
これはおかしい。
私の生き方に反している。
それなのに過去の成功体験に縋ってしまった。
何をやっているのか。
何故過去にうまくいったことが今もうまくいくと考えるのか?
どうして、「仕事を達成させる為に何をすればいいか」の原則に立戻らずに、特定の状況下でしか通用しない論理を持ち出したのか?
考えることをやめたかったのか。
動くことをしたくなかったからなのか。
そんな都合のために、現実認知を曲げるような思考をしたのか。
どれだけ頭は休みたがるんだろうか?
自分の先延ばしが誰かの負担になる
結局、後工程の方々に負担をかける羽目になりました。
本当に何をやっているのか。小さなミスではあるけど。
で、結果として、自分の仕事の一部を他者に押し付け、負担をかけたことになる。
どうしようもなく、負担をかけることはある。かけなきゃいけない時はある。
しかし、この程度のことで。
この程度のことで負担をかけるのは、色々間違っています。
- 自分の仕事は自分で最後までやり遂げるという私の価値観に反しているし。
- 細かいこと、余計なことで負担をかけられることを嫌がる私が、逆にかける側になってしまったことは、私が私に嫌がらせをしているような気分になるし。
- 仕事の負担を押し付けられることを嫌がる社会人を見て、ああなってはいけないのではないかと考えている私は何だったのかわからなくなるし。(ん?前の文章と矛盾してるかな?)
どうせ負担をかけるなら、精一杯頑張った結果そうなるようでありたい。
変わることも変えることも恐れない
普段やっていることと違う行動を取れば、自分の何かが変わる恐れがある。
その羽目に会いたくない。
違う行動を取ることで出会うであろう危機を避けたい。
おかしな行動をしていると他者から見られたくない。
そんな恐れ。
他者に、その人の世界観にない言葉を投げかけ、変化や混乱をもたらすこと。
その事を恐れるか。
(意識過剰か?)
恐れなくていいだろう。
恐れないだけの自分を作る。
ぐずっても、最後までやる
やらなければならないことがあっても、他のすることを見つけて本当にしなければいけないことをやらない。
そんなことがあります。
それをぐずると言うのでしょう。
私はぐずる。
でも待つ。
きちんとやり終わるのを待つ。
待つのです。
ルーティンは順番が決まっているのが大事
やるべきことを書き出して、何をするかわかるだけでは、生活効率化になるわけではありません。
やることが分かって、それをどのような順番でやるかを決めていないと、毎時毎時何をするかの選択に時間を使わなければいけなくなります。
その時間が積み重なると、途轍もない日数になります。
10ある中から1つを選ぶより、3つの中から、1つに決まっている中から選んだ方が、時間は少なくて済む。
一度に複数のことは出来ませんし。
無駄に悩む時間は、減らします。
10考えなければいけないことを、3つ考えただけで疲れてやめてしまっていないか?
だいたいタイトルの通りなのですが。
考えるべき要素が多く、多く考えなければ物事が達成できない時に、頭に負担をかけたくない。
考える時間がない。
そんな時、考えることを分けて、少ない部分を見て、ある一部だけをやることで状況を打破しようとすることはある。
その時はいいんだけど。
後になってやるべきことが襲ってくる。
まったく把握してなかった(と、思ってる)ことが自分を襲います。
その時になって、何故自分はやっていなんだろう?
考えていないんだろう?
と、考えるのです。
これは考えるべきことを考えていないから。
10考えなければいけないのに、3つ(くらい)しか考えていないから。
少し考えただけで、疲れてやめているから。
この事実に気づく必要がある。