返す返す考えて、2017年はやっぱり酷かった
現在、2016-2018年の3年間の総まとめを行っております。
振り返ると、本当に酷い。
2016年も酷いのですが、変わるタイミングやチャンスが何回もあったはずの2017年は特に酷いと言えます。
年始早々ゲーム。
そして、何をすればいいかわからない状態になって、ゲームをする。
ここが駄目すぎる。
お金がないのはこの時よりずっと前から続いているというのに。
毎日iPadを触ってゲームやっている。
そうでありながらゲームを続ける自分を嫌だとは思っている。
今となってはどうしてこんな事になったかはわかる。
明確な目標と、お金を得る必要性を持っていなかったからです。
結局、自分の望みが何なのかや、自分が必要としているものが何かと理解していない。
もっと言えば、お金が必要であると理解していない。
その事実は私を無行動の人間にしていた。
そもそもの出発点がない。
自分が何が必要かもわかっておらず、目標が何なのかもわからないまま、何でオレは何もしないんだろう?何もしようとしないんだろうと。そんなことを考えていました。
目標や必要なものがわかっていない、見えていないことで苦しんでいたのです。
そう思っている時間も短いのですよ。
大体の時間を、何を食べるか・眠るか・duel linksするか、ブログタイトル考えるか、くらいで、まともな時間の使い方をしていません。
目標が何か、必要なものは何か、欲しいものが何かがわかっていない現実が、人生を何一つ進ませなくする巨大障害物を眼前に生じさせるのです。
本当は2018ではなく、2017年に動いておくべきだった。
この年。このとしに思い切って高い教材を買って勉強を始めていれば、今の後悔はない。
思い切ってお金を使う事が出来なかった理由としては、年金の支払いが残っていたというのがある......。
はぁ......。
結局金なのか。
いやいやそうではない。
自分の中の、何かしらの思い切りが生まれなかった事が問題なのだ。
そういや2017年は労働の給料だけで生活していたのか.
うぅっ。気持ち悪い。
ぞっとする。
味わいたくない。