生存疾走更新

生存を目標に 仕事に進行中。1日1回以上更新、1日1冊以上読書!.....は現在休息中。

メンテナンス

 

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昨日は消耗品でしたが、今日は設備の話をします。

家や車は使ってすぐになくなるという物ではないので後回しにしてしまいがちですが、いつか壊れたり取り替える時が来ます。

私の場合何をすべきか、書いてみます。

 

ヘルメット......点検・清掃

バイク......エンジンオイル・タイヤ・ブレーキパッド・ブレーキフルード・バッテリー・クラッチフリクションプレート、スチールプレート・各種ライト

靴・服

エアコン......フィルター清掃・クリーニング

空気清浄機.....フィルター清掃

洗濯機......糸くず清掃

掃除機......フィルター清掃

換気扇......清掃

トイレ.....清掃

布団・マット......干す

機械に油をさす作業

要らないものを捨ててスペースを作る

 

掃除関連が多いですね。

これは週に一度頭の中に思い出して空き時間に汚れているものを行う、ということでいいのかな?

補充。

生活をし、片付整理をしていく上で気付くことがあります。

物の補充が必要だと。

日常に必要不可欠なものも、使えば無くなっていく。

あって当たり前の物が無いのは、中々の恐怖と不便です。

私の場合何があるだろうか? 書き出してみましょう。

 

食糧品・水(これもまた消耗品と考えます)

洗濯洗剤・柔軟剤

食器洗剤・スポンジ

ハンドソープ・リンス

歯ブラシ

ティッシュ・トイレットペーパー・タオル

携帯機器の充電

車、バイクのガソリン・タイヤ・ブレーキパッド

電球

ネイルコート・髭剃関連

ボールペンのリフィル

ゴミ袋

設備が壊れた時は設備

 

などなど多々あります。

小さい事柄なのに、引っかかるとストレスになります。

生活を行う際は、この補充がそこそこの労働になります。

これこそ外注したい......。

どうしてものしかかってくるコストなので、少ない労力・少ないストレスで対処をしたい。

さて、どうするか。

お金がなくて支出を限界まで減らしたいとしている。

私はどうするか。

買い溜めでものを増やしたくない私はどうするか。

 

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基本的には食糧品購入の手法を使います。

なくなりかけたら買いに行く。

買い過ぎない。

ただそれだけ。

普通に生活に向き合っていれば、だいたい気付ける。

足りないものを手帳にメモする。

それで購入。

これを続ける。

 

書いてしまえば、大したことない内容ですね。

 

意識<行動

 

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運動をしようと思います。

やろうやろうと頭は思い続けているのに、気がつけばゲームをやったり、youtubeを見たり、他の作業をして運動から逃げる結果になっていませんか?

 

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問うからいけないのです。

やろうやろうと頭に負荷をかけるからやりづらくなるのです。

やろうと頭で思っている間は、体の側には”やる”と”やらない”の選択肢があります。

疲れることがわかっているので、やらないを容易に選んでしまうのです。

正解の行動は、何も考えずにやってしまう、です。

「考える」という行動を取ると、1step多くなってしまいます。

”やろう”と意志すること自体が、やることの妨げになるのです。面白いですね。

 

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やめたい行いに対しては、考えすらしないでいるべきです。

 

 

畳はすごい

フローリングの床の上に布団を敷いて寝ました。

寝づらい。

まぁ寝づらい。

床が硬っっい。

背中痛い。

フローリングってこういうものなのか。

だからベッドの需要があるのか。

次に畳で寝て見るとめちゃくちゃ気持ちいい。

今までこの畳が体の疲れを吸収してくれていたのですね。

ありがとう畳。

畳はすごい。

 

 

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何故できないことがあるのかー他に優先順位の高いことはないですか?

生活の形態が変わる中でわかってきたことがあります。

それは、掃除より洗濯の方が優先度が高いということです。

掃除や会計作業などは、重要である・毎日やらなければならない、と考えているにも関わらず、それらを実行できていません。

対して、毎日風呂に入ること・毎日洗濯する事・毎日食事を摂ることは実行できています。

前の件と後の件の違いは、優先順位の差でしょう。

会計や掃除は、明日以降に引き伸ばしても、問題ないことが多いです。

しかし、洗濯はそうはいかない。

1日1回の決められた時間内に行っておかないと、明日以降が間に合いません。

睡眠・風呂・食事も同じ。

私自身の日々の行動をまとめると、以下になります。

 

 優先度

A:睡眠・風呂・洗濯・仕事・食事・トイレ・疲れを取る

B:会計・掃除・片付・美容・ストレッチ・BLOG・補充

C:家の掃除・人との交流・連絡・学習

 

このようになっています。

こうして見ると、やらなければいけないことが何故できていないかよくわかりますね。

より優先度が上の事に時間や集中力を奪われて、できなくなっているのです。

このことを理解しておく必要があります。

 

たかが睡眠ではない。大事な問題だ。

睡眠が人生で一番大切なものです。

なぜそう言うかというと、きちんと眠れているかで、1日の行動効率が全然変わるからです。

1日が変えられるということは、人生が変えれられるということです。

最近この睡眠が悩ましい。

畳の部屋からフローリングの部屋に移って寝にくくなった。

快眠環境を備えなきゃ。お金は二の次だ。

 

手帳は毎年色を考えよう

昨年の手帳と今年の手帳を同時の持ち歩くことはありますよね。

その物の見た目が似ていたらどうでしょうか?

わかりづらい。

年が変わるたびに、手帳は違う色にしよう。

 

自分がどうすればいいかー「正しい」だけでは役に立たない

 

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正しい理屈・正しい論理は存在します。

それは間違いない。

あなたが目の前にいる相手は、その正しさを実行できる能力があるのでしょうか?

正しいやり方を理解する能力があるのか?

相手が理解できる文脈で話しているか?

正しい論理は存在していても、人によって実行の方法は異なります。

皆それぞれにパラメータが違うからです。

 

12:00までに目的地に着かなければならないとします。

近い人は徒歩でいいでしょう。

少し遠い人は自転車。

より遠ければ車。

電車や飛行機や新幹線を使わなければならない人もいるでしょう。

ある人が遅刻しました。仮にAさんとします。

Bさんは怒ります。

普通に来れば間に合うはずだろうと。

Aさんには問題がありました。

道がよくわかっておらず、出発時刻も問題がない場合を想定して設定したので、本来出るべき時刻より遅い時刻に出発したことになります。

対して、Bさんは集合地点付近の地理を熟知している人です。

Aさんが出た時刻よりも遅い時刻に出発していながら、きちんと間に合いました。

Aさんの能力とBさんの能力は違います。

同じ「間に合わせる」でもAさんとBさんではやり方が違います。

Bさんは時刻ギリギリでもいいけど、Aさんはそうはいきません。

Bさんが、なんで私と同じようにできないのか、と言っても、あまり意味はありません。

対策はAさん自身が、自らの状況を鑑みて決めていかなければなりません。

他の人と同じやり方をとるわけにはいかない。

最も、他の誰かに良い道を教えてもらっていれば、遅れはなかったかもしれませんが。

(例え話が下手なんですよ。)

 

正しい理解は存在するとし、「じゃあどうすればいいのか」は各個人が見つけていくしかないのです。

そこを無視して、「私あの時ああ言ったじゃないか!」と言うのは違う気がするのです。

いくらあなたの言うことが正しくても、当人はあなたと同じやり方でできるわけではないのですから。

 

常に異物はあるー自分がわかっていない範囲での対応

一つ、仕事で失敗がありました。

物の仕分け作業を行なっていました。

物には様々な属性があります。

どのような素材でできているのか。どういった経路で来ているのか。どのような人の手に渡ってここまで来たのか。など。

 

さて、具体例は書けないので抽象度を上げて書きますよ。

流れて来た物にaという要素があるかないかを判定して、あるものはL工程に、ないものはM工程に送ります。

こういう仕事があるんです。

で、先日私は普段通り仕事を行いました。

後刻、ある品物が送り返されてきました。

何故戻って来たのか、私は仕事をしたぞ。にしても様子が変だ。

 

実は、仕分けしていた物の中にL工程に行くでもM工程に行くでもないものが入っていたのです。

その”異物”を、いつも通りに見て、a要素がないというだけで、M工程に送っていたのです。私は。

 

よくよく考えてみれば、おかしな品物ではありました。

他の物品と見た目が違うし、製品表示をきっちり見ていれば、違う品だと気づけたはずです。

しかし私はそうはしなかった。

ただ機械やリトマス試験紙のように 、a要素を判定していただけだったのです。

それが自分の仕事だと思っていた。

なので、関係者から指摘された時は、一体私の何がいけないのかと思っていましたよ。

 

今思うとこの時の私はおかしい。  ことはよくわかる。

だが実際時間に於いて、私が全く私はおかしくないと感じていたのもわかる。

(コンピュータが怒られてるのってこんな感じなんだろうか)

 

他者から言われてやっと気づくのです。

自分達がただの機械や関数やプログラミングでしかなかったことに。

これではアイヒマンを同じではないか。

アドルフ・アイヒマン - Wikipedia

命令に従って物事を処理するだけ。

映画『ハンナ・アーレント』に強い感銘を受けた人間のやることでしょうか?

www.cetera.co.jp

 

この一件で語りたいこと、語らなければならないことは多いです。

 

1. そもそも私の元に異物が来るのがおかしくないか?

  そうであったとしても何らかの説明がなされないのは問題。

2. 説明すべき上司が仕事の全体像を説明していないことが問題では?

  a要素を見るだけではなくて、仕事の全体像を踏まえていれば、このようなミスは起きなかったのでは?

3. 私自身の気づきの能力に問題がある。

  たとえ話を聞いていなくても、異なる物に反応して、関係者に訊く行動を取っていたら?

4. こういったことは、今後もありうるし、過去にもあった。

  「そんなの聞いてませんよ」といったこともあったはず。その度にちゃんと物事を観察しなければいけないと怒られたんだなぁ。

5. 自働化思考で生まれた悲劇

  目の前にある事物に対して、一面の要素だけを見て判断して処理していく方法。

  この自働化された動きによって、異物も普通のものと見て処理してしまった。

  この自働的動きは良くないのか?

  そんなことはない。

  このルーティンワークのおかげで仕事時間を短縮することができているのです。

  これを捨てるのは違う。

  自分自身に、異物は必ず入ってくる。異物との接触は必ずあるのだとのリプログラミングをすればいいのではなかろうか?

6. 品物そのものへの注意や興味が必要

  自働化判断は、物そのものへの興味を持っていません。

  処理すべき要素を見ているだけです。

  しかし、扱う物一つ一つに関心を持って、次はどこへ行くのか?これはどこから来たのか?どうやって作られているのか?

  を、問う姿勢があったら、今回の問題は起きなかったのかもしれません。

  とはいえ、これはこれで労力を要することですね。

  一つ一つの事柄に想像力を傾けるということを何百とやならけらばいけないのですから。

  けど昔はそんな風に生きていたなぁ〜。

  一つ一つの試験問題に丁寧に対応していつも時間切れになってた。

 

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  5.と6.をうまく組み合わせる必要がある。

7.  仕事の本質を分かっていれば防げた話

  4.と関連していますが、観察眼を鍛えて、この仕事の本質がa要素を見ることではなくて、次の工程で何をするか、前の工程で何をしていたのか、全体の生産の中でどのような位置付けにあるのか、が分かっていれば、あるいは分かろうとしていれば、この件は防げたかもしれません。

 8. 他者から見れば、単なるミス

  私にとって、「聞いてない」話でも、私の事情に関係ない人から見れば、これはただのミス・ただの怠慢です。

  仕事は結果を出すことが大切。

  その結果を出すことができませんでした。

  理由はあれど、正しくない行動をとった・正解を導かない解を出す行動をとったのはただ事実です。

  私に能力があるか、私に知識があるかないかに関わらず、にね。

  こういうことに怒ったり悲しんだりはしない。

  何故なら過去に幾度も経験していますからね。

  試験問題を解くことを繰り返していく内に能力がないと正解にたどり着けない。正しい方法を使わないと得点できないということを知っているからです。

  試験問題そのものが分かっていない。試験を受けていることすら理解していない。

  こんな状態だと正解はまぐれでしか出てこない。

  新たな問いが投げかけられているのに、普段の行動を取るという問答ミスマッチが起こっていたのです。

  「正しい答えを出す」「正しい答えを出すためにどうすればいいか」を考え続けていれば、間違いを防げたかもしれません。

  (でも、終わってから気付くんだよなぁ。)

 

 

誰しも毎日のルーティンはあります。

自分自身のリズム・自分自身の共同体のコミュニケーションの方法があります。

そこに異物が入って来ることはある。

新しい対応をしなければいけないのに、普段通りを当てはめてはいませんか?

自分達のやり方を守るだけで、相手の都合ややり方を考慮しているでしょうか?

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わかっていない範囲のことを上手くこなすのは難しいですし、答えを用意できているわけではないですが、未知の範囲・異物はあるのだとの認識は持っているべきです。

 

雑談から、または雑談からしか真実がわからないことがある

他者から情報を聞き出すのって、思いの外エネルギーがかかることがありますよね。

この後空いてますか?なんてことをストレートに聞けない場面はありますよね。

こちらが質問しようとすることが、相手にとってどうでも良いことを訊いてしまって怪訝な顔をされないかと考える恐怖心はないでしょうか?

 

ストレートに聞くだけが道ではありません。

どうでもいい会話が大事になるのです。

ある作業をしている時に、「それすごいですね」とか「面白そうですね」という所から始まる。

とある物を持って来て、「これはなんですか」から始まる。

そんな他愛ないやり取りから生まれる交流を、情報を得る大事な場面にしていきたいものです。